東京ふうが 21号(平成22年 春季号)

チベットの風になって 1

ミニエッセー「旅と俳句」

「チベットの風になって」(連載4回)—– 平成22年 3月のチベット

第1回 入国からポタラ宮まで
石川英子
1.チベットの風になって

雄大なヒマラヤ連邦の上を風になって飛んでみたい、一年中高原に吹いている風とはどんなものだろうか。しかし誰でもそんな気持になった事はあると思うが、なかなか標高4千米、5千米の高所に立つ事は難しい。ヒマラヤの氷河を撫で、トルコ石の色をした湖を渡って、蒼穹を突き刺すような尖峰や太陽に輝く純白の嶺々を見る事は出来ない。風と共に暮しているチベット高原の老夫や老婆と同じ峠の風の中で親しく会話を交わしたい。仏塔にはためくタルチョ(祈祷旗)にからむ風になってみたい。人生七十余年を生きて天界に遊ぶなどという夢のような世界があるのだろうか。ほんの僅かなチベットの予備知識のみで、たった一週間ばかりの体験をして来た記憶がおぼろにならない内に、ありのままを稚拙な文章に綴っておきたいと思います。
神仏の宿る雪嶺、神や仏のお加護の腕(かいな)に抱かれて秘境に生きる風の民のお話です。

2.海の底だったチベット高原

世界地図を広げると、アジア大陸のほぼ中央にひときわ濃い茶色で彩られた大高原地帯があります。そこが世界で一番高く、世界で一番広い「チベット高原」です。そこは平均高度が4千米を超え、「世界の屋根」とも呼ばれます。黄河、揚子江、ガンジス川、インダス川、メコン川などアジアの大河は、すべてこの高原に源を発します。これら大河の流域には古くからアジアの文明が栄えましたが、この高原に住みついた人たちも、独自の文化を育んできました。神話時代からの歴史を持つチベット文化です。そして本来のチベットだけでなく、インド領のラダック、ザンスカール、シッキム、ネパール北方のマナン・ムスタン、ドルポやブータンなど広範な地域がチベット文化圏なのです。
三百万年もの昔、インド大陸とユーラシア大陸がぶつかって、海底が隆起してできたのがチベット高原です。そして、その時の大陸どうしのせめぎあいによってヒマラヤ山脈が生まれました。
チベット高原は8千米級の山々が連なるヒマラヤ山脈をはじめ、崑崙(クンルン)山脈、祁連(チーレン)山脈、アルティン山脈、また南北に走る横断山脈群、あるいは大陸内部の砂漠地帯に囲まれているため、長い間容易に近づける地ではありませんでした。そのため、チベットはことさら神秘的な地と思われ、「理想郷がある。」と語られたり、「閉ざされた辺鄙な土地」と思われたりして来た。
けれども昔からそこは東西文化の交流するところでもありました。何千キロも続く自動車道路が延びていますし、空港もあって国内便ばかりでなく国際便も飛んでいます。そしてチベットの文化は日本の文化に似ている所があります。一日の生活にしても、年間の行事にしても、人の一生についても、仏教と、それに培われた文化を抜きにしてチベットは語れません。

(つづきは本誌をご覧ください。)