東京ふうが50号(平成29年夏季号)

「旅と俳句」 台湾紀行Ⅲ

閩南(びんなん)語の島々を訪ねて(2)

石川英子

1・序
2・出発 桃園国際空港へ     3月8日(水)
3・金門尚義空港から金門城    3月9日(木)

4・金門島内観光(租車利用)   3月10日(金)
5・中国福建省廈門(アモイ)・鼓浪嶼島(コロンストウ) 3月11日(土)
6・金門總兵署・小琉球島 3月12日(日)
7・小琉球島観光・屏東(ビンドン)経由桃園 3月13日(月)
8・桃園国際空港より帰国     3月14日(火)


4・金門島内観光(租車利用)三月十日(金)雨

7時丁度にロビーに降りると、女将さんが朝食の用意をして待っていた。サンドイッチと油条に大量の温めた豆乳。豆乳は初めてだが美味しかった。女将さんの淹れた紅茶が旨い。

8時20分、山用雨具にザックとダブルストックで出発。大切な日に梅雨の様な雨模様。左ハンドルでカーナビ頼りに車を走らせると、幹線道路で突然の通行止めに遭い、前の車に続いて迂回を余儀なくされた。同じ道を幾度も彷徨ってから、やっと古寧頭戦史館(こねいとうせんしかん)に着く、9時50分。

古寧頭戦史館(こねいとうせんしかん)
1949年10月25日に中華人民共和国軍(人民解放軍)の武力上陸を撃退した記念に建てられた鉄筋コンクリートの要塞式建物である。付近一帯が和平公園となっており、館の前庭には金門の熊と呼ばれるM501型戦車や、兵士の塑像が置かれ、館内には戦闘の様子を描いた絵画や当時使用された小銃などの武器類と資料が展示されている。博物館の奥には巨大な地下通路を巡らせ、外の海岸監視台へと続く。1949年、中国共産党軍に勝利した聖地であるという。この戦いには、元日本陸軍中将であった中国名・林保源、本名・根本博顧問閣下が古寧頭(こねいとう)戦役を指揮。上陸して来た中国人民解放軍を破り、金門島を死守したと言われている。根本博氏の帰国に先立ち、蒋介石は英国王室と日本の皇室に花瓶を贈ったが、同じ花瓶を根本氏にも贈り、一対の花瓶の片方が現在台北の中正紀念堂に展示されている。その後の台湾に於ける政治情勢(外省人による台湾統治の正当化)もあって、根本氏ら日本人の協力の事は現地人の間でもほぼ忘れ去られ、古寧頭(こねいとう)戦役そのものの歴史的意義の認知も低下した。

古寧頭(こねいとう)戦役60周年式典
2009年(平成21年)に行われた古寧頭(こねいとう)戦役における戦没者慰霊祭に、台湾政府により日本人軍事顧問団の家族が招待され、当時の総統、馬英九氏と会見した。また彼らの帰国の際、中華民国国防部軍務次長の黄変炳中将は国防部を代表して、「当時の古寧頭(こねいとう)戦役における日本人関係者の協力に感謝している。これは『雪中炭を送る』の行為と言える。」と報道陣の前で感謝の言葉が述べられた。公式の場に於いて、台湾政府より正式に日本人の関与が公表されたのであった。
※ 参考文献
『この命義に捧ぐ。台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』門田隆将著
2010年 集英社刊
根本博元陸軍中将(1891年6月6日〜1966年5月24日)は、1942年7月8日、勲一等瑞宝章を授与された。

11時、小雨降る沙美老街へ。バスターミナルの駐車場に車を停め、老街といわれる商店街を散策。清代から続く閩南(びんなん)人の住居が廃れて残る沙美の街に暮らす住民のための食料を売る店や食堂が軒を連ねる。路地裏の大きな乾物屋で自家用の食料を買う。干し桜海老500g(500元)、貝柱500g(400元)、木耳(きくらげ)500g(300元)。女店員は計量しながら、閩南(びんなん)語まじりに「他所よりもウチが一番安いよ。」と言って、機嫌よく息子に大きなビニール袋を渡した。

一廻りして老街の表通りに出ると、着いた時に会った焼餅(シャオピン)屋の軒先を借りて青菜や浅利と蛤、剝き牡蠣等を道に並べて売っていた80代位の婆さんが、焼餅(シャオピン)の呼び込みをしていた。
「沙美で一番旨い焼餅(シャオピン)だよ、旦那食べて行きな。」
店の中には中老の女主人が食堂を経営していて、名物の焼餅(シャオピン)と生牡蠣入りビーフンで昼食。二人分で162元。
「金門島では一年中牡蠣が採れるのか。」と息子が訊ねると、73歳という女店主は、
「一年中採れるが、二月までが盛りで今はちょっと盛りを過ぎたのよ。ほら、少し黒い部分が多くなったでしょう。」
「でも台湾本島の牡蠣よりも、金門の物の方がずっと美味しいよ。本島のは大きいけれど、味が薄い。」
「採ってから店に並ぶまで時間がかかるから新鮮じゃなくなる。此処のは朝採った物を出しているから、新鮮さが違うのよ。」
と盛んに言い張った。柔らかい焼餅(シャオピン)は焼きたてで絶品だったが、箱詰にして沙美の土産用にも売られていた。
バラで山積みの玉子を売っている店の隣は、金沙戯院。民族劇や民族舞踊を見せる劇場があった。老街をしばらく見物してから、歴史博物館を探して暫く海岸沿いを走った。

 


(つづきは本誌をご覧ください。)