東京ふうが57号(令和元年春季号)

第18回「遊ホーッ」

洒落斎

① あるオランダ人通訳の言葉

 清水馨八郎著の『侵略の世界史』に、1818年にオランダの通訳が国学者の大国隆正に対し語った支那と日本の違いが記されており、まだペリーが来航する45年も前で、アヘン戦争より32年も前の状態が分かりますので紹介します。
「西洋諸国の見るところでは、アジアに未だ支那、日本のニケ国が西洋に従がわない。
しかし西洋が連合して当たれば、支那は十年で料理できるが、日本は30年かかるであろう。日本は小国だが、3つの障害がある。
一つは、人口が多く、武くして(勇ましくて)支那人のたぐいにあらず。
一つは、海岸が多く攻めにくい。
一つは、萬古一姓の天子ありて、人心これを尊ぶ心深し。
30年で従がえることができるであろうが、しかし、そのあと、日本国中の人間をことごとく斬りつくし、西洋から移民を送り、草木まで抜き捨て、植えかえなければ、我々西洋のものにはならない。一人でも日本人を残しておけば、恢復の志を起こし、また燃え立つべし。そんな国が日本だ」
以上ですが、1818年は徳川家斉の時代で、イギリス人のゴルドンが浦賀に来航し、通商を求めてきています。次第に西洋が極東に進出しだしてきた時代故に、武士の意気込みもしっかりしていたことが窺がえる。西洋から見ると初めてアジアに気骨のある国のあることを知ったということでしょう。


(つづきは本誌をご覧ください。)