東京ふうが58号(令和元年夏季号)

コラム はいかい漫遊漫歩 『春耕』より

松谷富彦

(102)  老人と老人のゐる寒さかな 杏太郎

飄々と平易な言葉で紡ぎ、優しい詩心の伝わる俳句1767句を収録した『今井杏太郎全句集』が、没後六年の平成最後の秋に角川書店から上梓された。杏太郎句ファンにとって、待望の全句集の刊行を仁平勝さんら愛弟子とともに実現させた版元の石井隆司さんは、句集の栞に書く。

(俳句に)加えて、氏の俳句観を示す散文や俳論、自註等を主に晩年の文章から選んだ。いずれも氏の息遣いが伺える名文である。したがって、この全句集は杏太郎全句随筆集成と言ってもよいと。

精神科医だった俳人杏太郎の人間洞察と句への反映も読み取れる400頁の〝杏太郎集成集〟なのである。

今井杏太郎(本名昭正 1928―2012)千葉県出身。昭和30年、勤務医から貨物船の船医に転身した杏太郎は「ホトトギス」の俳人だった船長、機関長らと船上句会を。その後、医院を開業。「馬酔木」同人の桑原志朗を知り、指導を受ける。昭和44年に「鶴」に入会、石塚友二に師事。同61年に第一句集『麦稈帽子』上梓、先輩同人の星野麥丘人が序で書く。

杏太郎が、昭和57年度の鶴賞を受賞した時、亡師石塚友二は次のように言っている。「この人の作風は、真正面に坐つた上で、真正面に話しかけたりするのは阿呆くさい、さう思つてゐるやうなところがある。兎も角も鶴では風変りな作者なのである。何処まで行けるものか、行き着くところまで、渾身の勇を奮つて試して見られるがよい」と。杏太郎寸描ともいうべき激励の言葉でもあるが、ここで注意すべきことは「鶴では風変りな作者」というところである。
この言葉の影響もあってか、この言葉に左右されている人が多いようだ。しかし、私は「鶴では」の前に「現在の」という限定詞を置いて考えている。つまり、「現在の鶴では風変りな作家」という風にである。

序をさらに引く。

老人が被つて麦稈帽子かなという(杏太郎の)句がある。句集名に因んで抜いてみたが、ここに難解な言葉は一つも見当たらない。風変りなことなどどこにもない。強い言葉が強く響くことの空しさ、激しい言葉がそのまま激しく消えていくことの脆さ、を知っているからこそ、それらの言葉を矯めてゐるのであらう

と麥丘人は書き、〈老人の句を挙げたので〉と同句集から五句を引く。

でで蟲を見て老人の泣きにけり
老人に会うて涼しくなりにけり 〉(三句略)

そして、麥丘人は〈俳句に於ける言葉の力を優しさから示したのが『麦稈帽子』ではないか、と私は思つている〉と序を結ぶ。


(つづきは本誌をご覧ください。)