東京ふうが60号(令和2年冬季・新年号)

韓国俳句話あれこれ 5

本郷民男

▲河東碧梧桐筆の「蚕養する」掛け軸

蚕飼する女夫や妻の唄のそゞろ  碧

河東碧梧桐(1873~1937)と言えば、説明するまでもないでしょう。松山藩の馬廻役で漢学者の河東清渓の五男で、三男が正岡子規の友人です。子規は清渓に漢学を学んだので、幼年期に子規を知っていました。中学では高浜虚子と同級です。旧制高等学校の学制改編で仙台の二高へ転校となり、田舎を嫌って虚子とともに退学しました。

虚子と並んで子規門下の双璧でしたが、旧守派となった虚子と対立して、新傾向俳句やルビ俳句など、作風が変転しました。

碧梧桐は蕪村研究家、旅行家、書家といった俳人以外の面も持っていました。碧梧桐は子規の看病のために、子規庵の近くに住んで中村不折と親しくなりました。中村不折は洋画家ですが、むしろ書家および書画収集家として名を残しました。子規庵の向かいの書道博物館は不折が設立し、のちに台東区へ寄贈されたものです。碧梧桐は家業の漢学と不折の影響で、六朝風の書家として大成しました。蚕飼は春の季語です。『河東碧梧桐全集』には三冊で14,842句が収録されていますが、この句もしくは近い句がみあたりません。ところが、
蚕飼する夫婦の唄のそゞろ
として「碧」の印が押された色紙を、美術商のE氏が所蔵していました。木浦の句で「女夫や妻の」と語調も悪く意味がとりにくい部分が、「夫婦の」とすっきりしています。両方とも写真しか見ていませんが、E氏の色紙は碧梧桐の書らしく見えます。残念ながら、その色紙は売却されました。


(つづきは本誌をご覧ください。)