東京ふうが68号(令和3年冬季・新春号)

素十俳句鑑賞 100句 (7)

蟇目良雨

(41)
虫聞くや庭木にとゞく影法師
大正13年9月 虚

 庭の虫を聞いていると居間の明りが我が身を照らし、その影法師が庭木まで届いていたというのが句意。俳句初心にして見馴れた光景を句に仕立上げる喜びを感じたのではないだろうか。庭木まで影法師が届くということは居間の電灯の明りが相当強いことが想像される。素十はこの頃、叔父高野毅の音羽の邸宅に住んでいてそのお陰でこの句を授かったと言える。叔父毅はその一人娘を素十と娶わせたかったが素十の好みではなかったのでこの計画は実らなかった。

(42)
初猟や一水芦に澄みわたり
大正13年10月 虚

芦原の水が澄み渡っている湖沼で初猟が始まる。初猟以後の湖沼は猟師や猟犬によって汚されるだろうと言っているようである。「初猟の」でなく「初猟や」と据えた効果を味わいたい。素十はこの作品の生まれる時まで、生まれ故郷の取手の利根川・小貝川周辺、中学生時代を過ごした長岡の信濃川周辺の沼沢を知っていたので、作品の出来た場所は特定出来ないが、俳句初心時代は秋櫻子と連れ立って吟行を重ねたので市川や潮来の光景かも知れない。それにしても初心時代に「一水芦に澄みわたり」の把握が出来たことに素十の力量の深さを知らされる。

(43)
端艇やいな跳ぶ水尾を漕ぎすてに
大正13年11月 虚

 端艇はカッターボートのこと。海軍などで新兵の訓練に用いられた小型手漕ぎボート。全速力で漕ぎすすむ端艇を見ていると付近を鯔が跳んで水尾を残しているが、端艇はその鯔の跳ぶことなどに気を配る余裕もなくどんどん漕ぎ進んでいく様子を一句にした。「漕ぎすて」の「捨て」の一字に漕ぐことに一心不乱の若者の様子を込めた。素十の俳句に一字一字も無駄が無いことを知る作品。


(つづきは本誌をご覧ください。)