素十俳句鑑賞 100句 (5)
蟇目良雨
(30)
円涼し長方形も亦涼し
昭和39年10月
円を見て涼しいと感じ、長方形もまた涼しいと感じたという内容である。教科書に描かれている円や長方形を見た時のものであろうか。それとも色紙などに描かれたものを見てのことであろうか。
一本の線を閉じることによって得られる円が成す内と外の単純な二つの世界。そんなことを考えて素十は遊んでいるのかもしれない。円の単純明快さに素十は涼しさを感じているのである。円に四方から力が加わってゆくと長方形になってゆく。その長方形の単純さにも涼しさを感じるのは自然の成り行き。
僧仙厓が一筆で円を描き、傍らに「これくふて茶のめ」と賛した掛け物を見て涼しいと感じたことから想を得たと考えても面白い。
また、京の洛北にある源光庵の円型の「悟りの窓」と四角の「迷いの窓」などからの着想だとすると「悟りの窓の円は涼しく見え、また迷いの窓と言われる長方形の窓も同じく涼しく見えることであるなあ」と解釈はいくつか出来るが理屈抜きに心の中に入り込んで来る句である。
一本の線を閉じることによって得られる円が成す内と外の単純な二つの世界。そんなことを考えて素十は遊んでいるのかもしれない。円の単純明快さに素十は涼しさを感じているのである。円に四方から力が加わってゆくと長方形になってゆく。その長方形の単純さにも涼しさを感じるのは自然の成り行き。
僧仙厓が一筆で円を描き、傍らに「これくふて茶のめ」と賛した掛け物を見て涼しいと感じたことから想を得たと考えても面白い。
また、京の洛北にある源光庵の円型の「悟りの窓」と四角の「迷いの窓」などからの着想だとすると「悟りの窓の円は涼しく見え、また迷いの窓と言われる長方形の窓も同じく涼しく見えることであるなあ」と解釈はいくつか出来るが理屈抜きに心の中に入り込んで来る句である。
(31)
書初めのうゐのおくやまけふこえて
昭和40年3月
素十、七十二歳の慶春句。書初めをするにあたり戯れに「いろは」などを書いて昔を偲んでいたが、やがて「いろは歌」を口ずさんでゆく内に
色は匂へど散りぬるを
わが世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見し酔ひもせず
わが世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見し酔ひもせず
の第三聯の詩句「有為の奥山今日越えて」に辿り着いた時に、素十は今年の新年の境地にふさわしいものに思えたのである。
「去年までは色々あったがようやくそうした無常の世界から抜け出せそうだなあ」といった安堵の気持ちが込められた句。昭和34年に父とも敬愛する虚子を亡くしてからの数年は、俳人として生きてゆく上に無常を感じた星霜が流れたことであろう。この時代はまだ古希を無事に過ぎることが珍しかった時代であったから尚更であったことと思う。
この句、一見無造作に取り合わされているだけのようだが書き初めの季語と全く違和感がなく、滞りのない調べのよさに注目すべきである。
ちなみに素十の書はおおらかで簡明な字で人柄そのものである。
(32)
円きものいろいろ柚子もその一つ
昭和41年1月