東京ふうが33号(平成25年 春季号)

寄り道 高野素十論

寄り道 高野素十論

その4

蟇目 良雨

前号まで3回に亘り素十の生い立ち、俳句に親しむ経緯、水原秋櫻子との交流、関東大震災に遭遇した素十たちの行き方など若き俳人の生き生きした姿を追ってきた。
一方、ホトトギス発行所が牛込船河原町から丸ビルへ移転したのも時を同じくしてこの頃。
「ホトトギス」発行所は始め丸ビルの6階623区に居を構えていました。 それは震災直後の大正12年「ホトトギス」十月号の巻頭に、9月10日付の虚子の復興宣言ともいうべき一文から分かります。

 9月1日から今日で10日間、地震、火災、家屋の破壊、露天生活、避難民としての軍艦
便乗、死人の臭気、腐爛したる屍体、帝都の焦土、其間を往来する困憊疲労、絶えず震動する余震の不安、其を筆にするさへ心持がよくない。又、そろそろかゝる生活状態になれかゝつて来て最早格別の刺戟を感じない。
唯幸なことはホトトギス発行所は丸ビルの6階に在つて被害少なく、活版所の秀英舎も無事、目下の混乱状態が少しおさまれば引続き雑誌発行の運びになるであらう。
10月号の校正も既に終りに近づいてゐたのであるが、彼の大震の為めに組版が悉く破壊したかもしれぬ。或は無事かも知れぬ。今は其さへ不明である。取片附けがすんで若し組版が壊れた事を発見すれば新らしく組に取りかゝらねばならず、相当の時日を要するであらう。
たとひ組直すにしても原稿は全部保存してあるから一文一章をも改めずに其儘にする。なまじい地震の記事などを挿むことはせぬ。さればホトトギス10月号は8月24日頃迄の極めて平和な気分のもとに編輯されたものである。恐く他の諸雑誌は悲惨な地震の記事を以て満たさるゝであらう。其中に唯一つこんな雑誌があるのもよかろう。
大地が一度震れると人間は右往左往に混乱し。圧死し。避難する。箒の先に掃き壊された蟻蛭の中から蟻があはてふためき這ひ逃がれる状態と目下避難民の状態と何の異るところがある。
大正12年9月10日 東京にて 虚子記

(つづきは本誌をご覧ください。)