東京ふうが33号(平成25年 春季号)

曾良を尋ねて

曾良を尋ねて <16>

44.旅の経費に関する一考察

乾 佐知子

「41」で旅の経費のことについて若干触れたが、今回はこの件に関しても少し詳しく検証してみたい。

 芭蕉は新たなこの旅への決意を門人の猿雖に宛て「こもかぶるべき心がけにて御座候」といい、乞食の境涯を辞さない、という覚悟を述べているが、芭蕉は用心深い性格で決して無謀な旅をする人ではない。従って大分以前からこの旅を計画し、用意周到に準備を進めていたものと思われる。
その意気込みは曾良に膨大な「神名帳」や「名勝備忘録」をつくらせ、更に弟子達の思いのこもった芭蕉庵を売り、退路を断ったのである。自宅を手放した、この行為を大方の研究者は旅の費用に当てる為であろうとしているが、はたしてそれだけの理由であろうか。
芭蕉が禅の思想に傾倒していたことはすでに述べたが、その影響と無関係ではない、との見解を持つ先生方もかなりおられる。この件に関しては後に詳しく触れたい。

さて江戸を出発して150日、2400キロに及ぶ二人掛りの大旅行である。当然経費の問題は重要である。
芭蕉は1月17日郷里の兄半左衛門に宛てて〝昨年手持金が少なく仕送りが出来なかった〟ことを詫びる手紙を送っており、相変らず貧乏だったことがわかる。然しその後に〝…北國下向之節立寄候而成…〟と奥州の旅の帰りに立寄ることを示唆しており、一体その旅費はどうするつもりかと、問いたくなる。
芭蕉が一向にその件に関して心配する様子がないのは、別口に入る算段があったからであろう。

では実際その当時のこの規模の旅行にはいくら位の路銀が掛るのか、文学博士の井本農一先生の興味深い話があるので紹介したい。

(つづきは本誌をご覧ください。)