東京ふうが34号(平成25年 夏季号)

寄り道 高野素十論

寄り道 高野素十論

その5

蟇目 良雨

関東大震災のときのひとこまに後に立子と結婚する星野吉人の記録が出てくる。
村山古郷著『大正俳壇史』を繙くと

「その時、高浜虚子は鎌倉原の台の自宅にいた。その日は島村元の初七日の法要に出席するため、東京へは行かず、午前中は座敷に寝ころび、新聞を拾い読みしていた。そこへぐらぐらと来た。
地震だと思って、縁側に立ち上がると同時に、庭に擲りだされていた。擲リ出される前に、玄関の方から、五女の晴子を抱いた星野吉人が、庭に転がっているのを見た。吉人は後に二女の立子と結婚した人である。庭はでこぼこと大きく波打ち、その底から何とも形容できない地響きが起こった。虚子は立ち上がろうとして、転んだ。そしてまた立ち上がろうとし、また転がった。家がめきめき、ぐらぐら揺れた。
庭の向こうに立子の声がした。立子は二十一歳であった。座敷の縁側には、二男の友次郎が立って、虚子の転ぶさまがおかしいので、地震に揺れながら笑っていた。立子が今年五歳の六女章子を抱いているのを見て、虚子はそこへ行こうと思った。しかし大地が揺れていて歩けなかった。這うようににして近づいた。そこには三女の宵子もいた。立子も宵子もじっと立っていられないで、泣きべそをかいていた。虚子が近づくと、晴子は「こわい」と、虚子にしがみついた。虚子は「大丈夫、大丈夫」といったが、大地が今にも裂けるのではないかと思った。  以下略・・・・・・」

(つづきは本誌をご覧ください。)