東京ふうが34号(平成25年 夏季号)

曾良を尋ねて

曾良を尋ねて <17>

47. 光国と「生類憐れみの令」

乾 佐知子

前回桑名藩主松平定重について説明すると述べたが、その前に五代将軍綱吉と御三家の水戸光圀との当時の微妙な関係について触れておこうと思う。在位30年の長きに亘って数々の政策を打ち出した綱吉の政治改革は江戸時代を語る中でのかなりインパクトのあるものだった。例えば老中、若年寄といった首脳陣を越えて「側用人」制度を初めて設けたのもこの時代である。

綱吉は初めは文治主義の傾向を見せていたが、大老堀田正俊が没したのちは、実権を「側用人」の柳沢吉保にゆだね政治が緩みはじめた。

特に貞享4年(1687)「生類憐みの令」を発したのちは、しだいにエスカレートして違反者への取締りを強化し、人間よりも生類、特に「犬」を優位におく処置に、庶民は大いに苦しめられた。

ちなみに当時の犬小屋の広さは16万坪で現在のJR中野駅を中心とした一帯であった。
犬は最も多い時で82,000匹が収容され、その経費は年に98,000両が費やされたという。

こうして極端に走った「生類憐みの令」に対して、光圀は元より多くの諸大名も内心は不快の念を抱いていたと思われる。

(つづきは本誌をご覧ください。)