俳句とエッセイ「東京ふうが」平成28年夏季号

東京ふうが46号(平成28年夏季号)

「連想論」を説いた大木あきらの詩魂

高木良多

大木あきらさんが生前発行した句集はなかった。また評論集もなかった。
そこで「ふうが」の蟇目良雨さんに問い合わせたところ「百花」69号(昭和54年5月発行)に掲載されていた「連想に訴えよ」というあきらさんの論文を見せていただいた。
当時「百花」では主宰の広瀬一朗さん、次席の堀古蝶さんらが活躍していた。一朗さんも古蝶さんも俳壇では既に名もあらわれている論客であったが、あきらさんの名声は聞かれていなかったが「百花」の内部では既に聞こえも高い実力者であったようである。
「百花」主宰広瀬一朗さんからたっての要望があり次掲の論文が依頼されていたようであるからである。
内容は2段組み、2ページ建てによる論文であった。その論文は冒頭に「俳句って何だというテーマは大き過ぎることに気がついた。俳句って何だは、季語って何だに続いて写生って何だ、吟行って何だ、切れ字って何だ、何だとやったうえでその集大成にこそつけられるべき題名であることに想い至ったからである」ということから書きはじめつぎのようなことを述べている。
わが国独特の短詩であることについては、季を入れる慣わしとともにいささか説明を要しよう。たった17文字で一つの詩が完結する、詩的イメージの伝達が可能であるということは、外国人にとってはまことに驚くべき事実であるに違いない。ナゾを解くカギはいったいどこにあるのか、それは人々の連想の働きによるものであるとされるからである。俳句が詩として成り立つのは日本人の連想の基盤に共通するものであるからだとする渡辺昇一上智大学教授はいう。
─中 略─
たしかに日本の四季の移り変わりは変化に富んで美しい。日本人は古来、この自然に親しみ、この風土を愛して生きてきた。季節感にも敏感で、西欧では詩の対象が自然のほか人間と神が拮抗しているのに対し、わが国の詩歌は自然がずば抜けて多いという。─以下略
ここまで詠んできたとき、私はある外国の文学者が「風」の発行所に尋ねてきて、細見綾子先生に「私も俳句を学びたいと思うのですが出来るでしょうか。」と尋ねたとき細見先生が「俳句は日本独特の文芸ですので外国人には学んでもでき得ないでしょう」と応えたという対話のことを思い出していた。
日本はその地形が北は北海道から南は沖縄へ縦断しているので、春夏秋冬の季節によって日本人は一様にその恩恵を受けている。そのため南の国の人たちが「こんどの台風はいかがでしたかと尋ねても北の国の人達はそれに対してその変化の様相を応えることができる。そのため南の国の人たちと北の国の人たちの間で連想が生まれてきてそこに文芸の俳句が生かされているのであろうか。
今にして思えば大木あきらさんの「連想説」には細見綾子先生の「自然観」と基を一にするものがあると思えたことである。
細見先生のこの応答も私にとっては驚きであったが、大木さんの「連想論」にも教えられることが多かったのである。
それと同時に日本の俳句文芸の根幹について考えさせられることが多いと思った。
以下大木あきらさんの作品について「百花」と「春耕」の中から抽出し、その多彩な作品を見ることにしよう。大木あきらさんの詩魂を探ってみたいためである。

 


(つづきは本誌をご覧ください。)