東京ふうが50号(平成29年夏季号)

「旅と俳句」第11回「遊ホーッ」

①童謡「かなりや」

洒落斎

西條八十作詞の童謡「かなりや」は「歌を忘れたかなりやは…」で大変に有名ですが、カナリヤが果して歌を忘れるであろうかと考えてみると、疑問が湧いてきます。

そんなことはどうでもいいじゃないかという意見には私も賛成はします。ただし、カナリヤがウグイスやホオジロだったら、歌を忘れたがもっとピッタリだったはずだと思います。
私の家や畑の周りではウグイスやホオジロが来て、鳴き声をよく聞くことができます。

初春の彼らの鳴き声はすっかり歌を忘れたかのように下手な鳴き方をしています。ウグイスは「ホーホケキョ」が「ホーホケキヨ」や「ホーホケキョキョ」だったりで、正常の鳴き声になるまでに時間がかかります。

ホオジロの場合は「一筆啓上つかまつり候」とウグイスよりも鳴き声が長いために、ウグイス以上に正常の鳴き声になるのに時間がかかります。私の畑の高木の梢にやって来るホオジロは現在も「一筆啓上つか…」とか、「一筆啓上つかまつり…」と鳴いたりするので、私が口笛で指導をすると真似て、正しく「一筆啓上つかまつり候」と鳴いています。しかし翌日になるとまた忘れておかしな鳴き方に戻っています。それも時間の問題でやがてしっかりした鳴き声になるようです。

ところで童謡「かなりや」の2番に「背戸の小藪」という歌詞がでてきますが、背戸(せど)という言葉は現在ではほとんど通じないのではと思えます。果して当時の児童にも通じたのかは疑問です。(背戸の意味は家の裏門、裏口)


(つづきは本誌をご覧ください。)