東京ふうが61号(令和2年春季号)

韓国俳句話あれこれ 6

本郷民男

▲ 韓国の釜山にも俳額

俳句を板などに書いて額とし、お寺や神社に奉納したのが俳額です。絵馬や算額と同類で、俳句が進出した外国にもあったのではないかと思いました。韓国にいた5年前に、愛知県の古本屋に気になる資料があるのを知って購入しました。『韓國釜山港 龍頭山神社奉額発句集』という小冊子で、この存在から明治40年(1907)に、釜山の龍頭山神社に俳額が奉納されたと見ています。
料紙は縦19cm横二六㎝の韓紙で、一六帖に活字印刷して二つ折りし、半帖(半分の横幅の紙)の表紙と裏表紙で挟み、右側上下を2本の紙縒りで綴じています。袋綴装の中本(18×12程度)ということです。表紙の左下に「釜山港 三日月會」の文字も印刷され、裏表紙の中央には、「三日月會」の角印が朱で印刷されています。発行日や発行所などを書いた刊記はありません。

▲ 四人の撰者、388句

冊子には、東京雪中庵雀志宗匠撰74、岡山市齋月庵松霧宗匠撰95、大坂市橡面坊先生撰80、釜山省花堂茶遊先生撰131の撰句と、雀志1、松霧1、橡面坊4、茶遊2を合わせ388句が書かれています。本文の最初に「釜山 龍頭山神社奉額5千句集抜粋」とあります。俳額を作る時には、多数の俳句を募集することがあります。5千句は目標値かも知れませんが、多数の句を募集してお金も集め、入撰句集として発行したのでしょう。入撰句が多すぎるので、俳額に載せたのはそのまた一部でしょう。
撰者や撰と書くのは、次の理由によります。
一、何某選と云ふ文字の事、選者一人の時は選字たるべし。多人の時は撰字を用ゐるべし(『宇陀法師』俳諧撰集法)。
『宇陀法師』は李由と許六の編で、蕉門の作法書です。撰と選の使い分けが絶滅した現状を知ったら、あの世で嘆くでしょう。


(つづきは本誌をご覧ください。)