東京ふうが63号(令和2年秋季号)

コラム はいかい漫遊漫歩 『春耕』より

松谷富彦

122 夭逝の自由律俳人、住宅顕信(3)

先月号に続き、自由律俳句結社「海市」の句友で、住宅顕信(すみたく・けんしん)の没後、亡友の悲願の句集『未完成』を彌生書房の商業出版に漕ぎつけた池畑秀一の回想を『住宅顕信全俳句全実像 夜が淋しくて誰かが笑いはじめた』のあとがきから引く。

 顕信から電話をもらい、池畑が岡山市民病院を訪ね、入院中の顕信に初めて会ったのは、昭和61年8月。永の別れとなるわずか半年前のことだった。前話にも触れたが、当時、岡山大学の准教授(数学)だった池畑は、『層雲』に入門したばかりで、顕信は年下だが句歴は2年先輩だった。放哉、山頭火の存在を知る程度だった年上の池畑に自由律俳句について滔々と語る病人、顕信。

  彼の話は新鮮で魅力的だった。〉と池畑は書く。〈 それからほぼ二週に一度の割合で病室を訪れ、二人で俳句の世界に浸った。彼の俳句に対する態度はすさまじいもので、私はその気魄にいつも圧倒された。尾崎放哉に心酔しており、放哉全集は一冊はボロボロにしてしまい二冊目を使っていた。一句一句を心をこめて大事に作っていた。全国の俳友からの便りをテーブルに並べて説明してくれた時の顕信の嬉しそうな表情を忘れることが出来ない。…僅か半年の交際だったが、彼は私の心に多くのものを残していった。〉

 句友池畑の熱意と彌生書房の英断で、顕信悲願の句集『未完成』は、亡くなって僅か一年後の昭和63年に全2百81句を収めて刊行。この句集によって、俳人顕信の句が知られるようになる。

 平成14年にはフランスの著名出版社ガリマール書店から日本俳句のアンソロジー『Haiku:Anthologie du poeme court Japonais』が出版された。内訳は松尾芭蕉から現代俳句まで507句を搭載。自由律俳句では種田山頭火19句、尾崎放哉13句、そして謙信が9句選ばれている。

 池畑はアンソロジー出版当時のちょっといいエピソードを記す。〈 高校三年生(註・平成15年1月当時)になった顕信の遺児、春樹君がフランス語の辞書を片手に、父の作品がどのように翻訳されているかを調べている姿を見て、顕信もほほえましく思っているに違いない。〉と。

 そして、没後15年を経た平成14年に「顕信全集」とも言うべき池畑監修の『住宅顕信全句集全実像』(小学館刊)が、顕信句〈 夜が淋しくて誰かが笑いはじめた 〉のサブタイトル付きで出版され、顕信俳句の全貌とその人となりが、 広く知られることになった。


(つづきは本誌をご覧ください。)