東京ふうが67号(令和3年秋季号)

韓国俳句話あれこれ 12

本郷民男

▲ 韓の冬の空

 1926年の『朝鮮俳句一万集』の、秋の句を天文から見ましょう。

白頭の嶺凛として冬の月  鎮南浦 露月
金剛の萬二千峰雪景色   仁川  芳村
陵守の焚く温突や夕時雨  東京  休山

白頭は中国と北朝鮮の境にある海抜二七四四メートルのペクトゥサン白頭山で、中国ではチャンパイシャン長白山と呼びます。白頭山から西に鴨緑江、東には豆満江が流れ、中国との国境です。白頭山は夏を除いて雪に覆われます。鎮南浦は平壌の南を流れる大同江の港です。金剛も海抜一六三八メートルのクムグァンサン金剛山を中心とする地域で、東西四十キロ南北六十キロに及びます。華厳経の中でも大部の八十華厳に、菩薩住處品という、菩薩の住む山々を列挙した章があります。その中に、海中に金剛山があって、千二百人の菩薩が住んでいるとあります。金剛山はそこから来たようです。サンスクリットの法華経は、「あるとき釈迦が千二百人の僧といっしょに、霊鷲山に住んでいた」で始まります。しかし、漢訳の法華経では萬二千人といっしょにと訳されています。金剛山には漢訳の法華経あたりから、一万二千の峰があることになったのでしょう。だいぶインフレではありますが、金剛山は奇岩怪石の韓半島随一の名勝とされています。
王や皇后の陵には、下級役人を長とし、陵戸として身分の低い陵守が置かれました。寒い冬には、陵守の家ごとにオンドルが焚かれたでしょう。作者の休山は昭和三年の俳人名鑑に、京城大学法学部学生の末石正人として出ています。昭和十八年に旧満州国で発行の『俳句満州』創刊号にも句が載りました。


▲ 寒さひとしお

枯野暮れて只弦月の尖りけり 京城 不老
水甕の凍りて響く廚かな   金堤 鈴枝
朝市の鯛そり返る寒さかな 済州島 洋月

韓の冬は寒いです。私のいた慶州でも真冬は零下十度くらいでした。慶州の枯野を見慣れると、日本の枯野は枯野ではない、もはや東京あたりに冬はないと思いました。夜の会合に参加して歩いて帰ると、月だけが友という気がしました。襟巻に冬帽子、手袋という三点セットでも寒かったです。
キムチは冬の初めに甕で漬けて、外に置きます。知人からキムチを分けてもらう時に、甕が凍っているのがしばしばでした。私は古いマンションに住んでいて、水道のメーターとボイラーが凍結して壊れたことがあります。今のオンドルは温水で床暖房します。ボイラーといっても給水ポンプが付いた湯沸器です。修理してもらうまで、水と暖房が使えない難民状態でした。零下十五度の破壊力です。
慶州にも大きな市場が二か所あり、時々行きました。冬の朝五時でも営業しているので、市場の商人はホームレスなみの寒さを強いられます。済州島は韓国の沖縄ですが、日本よりは寒いでしょう。魚はサンマ十匹、鯖三匹などの単位で売るので、なかなか買えませんでした。しかし、刺身などは手頃な量なので時々買いました。


(つづきは本誌をご覧ください。)