東京ふうが 21号(平成22年 春季号)

曾良を尋ねて 4

曾良 – 伊勢への旅立ち

乾 佐知子

曾良と松平忠輝 [ 1 ]

 昨年の11月私は三たび諏訪を訪れ、曾良が伊勢に旅立った際に越えたと思われる有賀峠を案内して頂いた。夕暮迫る頂上から見た湖は、遠くに中央アルプスを望み神々しいほど雄大で、何百年の歴史を経た今も悠然とその姿を湛えていた。
我々が車を降りた場所はこの絶景を見せんが為に建てたと思われる洒落たホテルの駐車場であった。標高1,063メートルの外気はすでに初冬を思わせる。私達は体を暖めようとコーヒーを求めて中に入った。然しこの日は若いカップルの為に貸し切りになっているという。結婚式だったのだ。バルコニーで花嫁を囲み楽しそうに写真を撮り合っている若者達を見ていると、現在のこの平和な光景が同じこの峠を淋しく異郷へと旅立って行ったであろう遠い昔の若者の境遇と重なり、複雑な思いで晩秋の夕闇迫る峠をあとにしたのだった。
再び諏訪市内に戻った我々は、最後の目的地である貞松院へと向った。貞松院は正願寺の手前隣りにある古刹であり、徳川家康の六男である松平忠輝の墓所のあることで有名である。私は去年以来「曾良を尋ねて」を執筆していくうちに、この松平忠輝に関心を持ったのである。全く無縁と思われたこの人物が、曾良の人生に大きく係っているのではないか、という思いに至ったからである。
今回の旅行では是非にとお願いしてご案内頂いた。 忠輝の墓は貞松院の広い墓地の最も奥まった白壁の裏手にあった。然しその墓は私が想像していたより意外に質素で、石も敷地も一般のそれよりやや大きめといった程度である。
その原因は忠輝の数奇ともいえる苛酷な運命にあった。

(つづきは本誌をご覧ください。)