季刊俳誌東京ふうが通巻22号

東京ふうが 22号(平成22年 夏季号)

チベットの風になって 2

ミニエッセー「旅と俳句」

「チベットの風になって」(連載4回)—– 平成22年 3月のチベット

石川英子
5.ポタラ宮

7時半起床、昨夜から鼻詰まりの為良く眠れず、8時迄待ったが朝食が来ないので催促。8時20分、若い女性が2人で朝食を持って来た。冷たい薄切り食パン2枚、バター少々、さめたミルク、カチカチの目玉焼、カップの底に粉の固まった冷めたいコーヒー。疲れた体がどうしても受けつけないので持参のフリーズドライの蟹汁を食べる。9時、案内人のヤンツォンさんが迎えに来て歩いてポタラ宮へ出かけた。既に武装警察官がチベット族エリアの町中に配備されていた。9時半、ラサの象徴ポタラ宮に入館、100元。携帯してきた水と紅茶入り水筒を取り上げられ全部明けさせられてしまった。
マルポリ(紅山)の南斜面に聳えているのがダライ・ラマの寝所であるが、空気の薄い高所で登りはなかなかきびしいものである。ダライ・ラマ14世は54年前にインドへ亡命しているが、建物は世界遺産になっている。
ポタラとはサンスクリット語のポタラカ(観音菩薩が住む山)で日本仏教の普陀落に由来する。先ずこの地に観音菩薩を祀った聖観音殿が建設され、続けて他の建物が建てられていったところからポタラ宮と呼ばれる様になった。一般に7世紀に建設が始まったといわれているが、本格的には17世紀ダライ・ラマ5世の時代にチベットの政教両面の権力を握ってから建設が続けられ、全館が完成したのはダライ・ラマ5世が没して10年後の1695年である。これ以降1959年3月にダライ・ラマ14世がインドに亡命するまで、約300年間にわたり、ポタラ宮はチベットの中心地となった。その為宮殿の内部は迷宮のように複雑に入りくんでおり1000室以上もある。
白壁に囲まれた白宮はダライ・ラマの住居であると同時に政治を執り行なう場所で、かつてのチベットの俗の中心だった所である。

(つづきは本誌をご覧ください。)