東京ふうが 30号(平成24年 夏季号)

寄り道 高野素十論

寄り道 高野素十論

蟇目 良雨

はじめに

私は高野素十が好きである。鷹揚で酒を愛し女を愛しそしてなにより決してぶれない写生の目の行き届いた俳句を数多く残してくれた。<br/ >その俳句は今でも私たちに安らぎを与えてくれる。また、色紙短冊に素十の筆跡を見て寛がないひとはいない。書に立ち上る人間性が俳句の内容とともに力強く訴えかけてくれるのである。現代の書家が書の真髄に迫ろうと努力を重ねているが、書かれたものから私たちが受け取るものはイメージが先行しているのではないだろうか。書いてある文の内容は大方借り物でありその意味において書家の訴えかけてくる力に物足りなさを感じてしまう。少なくとも私はそのそうである。
私は直接素十の弟子でもなければ門下にも連なっていない一人の俳句好きである。俳句の初学のころ師の皆川盤水から高野素十の写生を勉強したまえと勧められていろいろ素十に近づこうとして時間を浪費してきた。
このたび「東京ふうが」に少しずつであるが素十へ近づくことを始めてみる気になった。
話題があちこちへと飛ぶので「寄り道 高野素十論」と名付けた訳である。

(つづきは本誌をご覧ください。)