東京ふうが 31号(平成24年 秋季号)

寄り道 高野素十論

寄り道 高野素十論

蟇目 良雨

素十は茨城県北相馬郡山王村に生まれ育った。子供時代は社会主義にも似た正義感が強く小学校6年生のとき生徒を懲罰した教師のボイコットを叫んで村内のある寺に籠もったことが原因で地元中学への内申書を貰えず仕方なく叔父を頼って新潟県長岡中学に入った。一高、東大を出て勤め先に選んだのが新潟医科大学の法医学教室であった。素十の俳句は東大医局時代と新潟時代の作品に多くの耀きを発揮しているのではないだろうか。
昭和6年に起こった、秋櫻子と素十の「自然の真と文学上の真」論争の直後の昭和7年から移り住んだ新潟における素十の内容に立ち入って見たいと思う。そこで前回同様、素十の高弟で村松紅花の後を引き継いで「雪」を主宰する蒲原ひろし先生に伺った話を通して素十の素顔にさらに近づきたい。

二、蒲原ひろし先生に聞く

平成24年10月号の「俳句四季」の「今月のハイライト」欄に「雪」35周年と題して蒲原ひろし先生率いる「雪」の特集が組まれた。
ご自分で書かれた解説文には、新潟に本拠を置いた「まはぎ」の中田みづほ、「芹」の高野素十の両師の教えに導かれて純客観写生の俳句作りを推進するとある。
「まはぎ」も「雪」も全国に会員を擁していたがやはり新潟を中心にした俳句雑誌で、しかも質実剛健で多くの会員を求めなかったから全国的には地味な俳誌と言えよう。特に高野素十は会員が500名を越えるということは自分の目が届かないから越えないように制したといわれる。

(つづきは本誌をご覧ください。)