季刊俳誌東京ふうが 通巻42号 平成27年夏季号

東京ふうが42号(平成27年夏季号)

富田直治俳句の詩魂

高木良多

私はさきに「菽水と蕪村」の作品評を書いてきた。そのあと「若月瑞峰と高橋由一」の作品評も書いてきた。
菽水も瑞峰も「春耕」にとっては忘れることのできない二先人であったが、富田直治についても書きつづけるようにと編集室から強い要望があったので「春耕」の三先人の一人としての直治評も書きつづけることに同意した。私と直治との関係は「風」の編集時代から辛苦をともにしてきた仲でもあったからで、この小品を書きつづけることにした。
ところが直治については句集、評論集のいずれも一冊の著作もないのでいささか困っていた。ただ一つの手がかりになったことは「風」に『風歳時記』があったことである。
『風歳時記』は昭和51年9月に完成し「風」にとっては唯一はじめての歳時記で他の結社にもそれまでみられたことのないような自結社内の歳時記であったのである。
この『風歳時記』には直治俳句が57句採用されており、この中から私は直治の句を恣意的な方法で分類、以下21句につき寸評をほどこしてゆきたいと思うのである。

◆父祖への思慕
① 腹当をさせられしこと祖父のこと 夏の句
② 群衆の中パナマ帽見え隠る  〃
③ ビール飲むほどに兵隊の顔出てくる 〃
④ 父の日のただ茫漠と終りたり  〃
⑤ 雁の一羽遅れしままの距離 秋の句
⑥ 東北の林檎届きて寒さも来る 冬の句
⑦ 波郷忌や止り木に足さだまらず  〃

直治は幼少にして父を失っていた。そのため祖父の手によって育てられてきたとうかがっている。
腹当てをさせられている子の姿を見るにつけ祖父のことを思い、群衆の中を歩いてゆくパナマ帽をかぶった人の姿を見ては祖父のことを想って自己を凝視しているのである。祖父はやさしかったが教育の点についてはきびしくされていたように思える。直治の学業の成績が優秀であったのである。
旧制中学を卒業して受験期には旧制一高の学科試験に合格しているからである。ただ面接試験で失格となってしまっている。人相がよくなく試験官によい印象を与えていなかったからであろうか。


(つづきは本誌をご覧ください。)