俳句とエッセイ「東京ふうが」平成28年秋季号

東京ふうが47号(平成28年秋季号)

三陸書房ウェブサイト「オリーブ」
〈連載エッセイ〉「[歳時記風に]けせんぬま追想」より転載

続 秋・11月【十一月】

菊田 一平

蝮裂く十一月の山水に   高木良多

「ひゃぐんなってもおしょすいでば……」。
「なにもおしょすいごどねえがら……。えんりょしいすな」。

目覚めたばかりの頭に、気仙沼の港に出入りする船たちのエンジンの音と鴎たちの声に混じって、階下の祖母と母のやり取りが聞こえます。「おしょすい」とは気仙沼あたりの言葉で「恥ずかしい」という意味です。

「百歳になっても恥ずかしい」と言う祖母に、「なにも恥ずかしいことはないから……遠慮しなくてもいいんだよ」と母が応えているのです。「そんなごど、かだったって、おしょすいでば(そう言われても、恥ずかしくて)……」と、なおも消え入りそうにくぐもる祖母の声に、「じゅんばんじゅんばん、みんなじゅんばんだから……」と母の声がかぶさります。

明治39年生れの祖母は、この11月で満100歳になります。内臓系どこにも異常はないのですが、記憶の後退が進んで、時に、過去と現在が同じ時制で進行したり、足が萎(な)え始めたので、炬燵に横になってうとうとしていることが多くなりました。初めてそんな祖母を目にしたのは、5、6年前の帰省の時でした。耳が遠くなったと父から聞いていたので、炬燵でテレビを見ている祖母に、「ただいまあ!」 大きな声をかけると、私の顔を覗き込みながら、「あんた誰あれ?」と訝しそうな顔をします。傍らにいた父が「さとるだよ。さとる。夏休みで帰ってきたんだよ」と説明すると、一瞬、眉根を寄せて記憶をたぐるような表情をしましたが、「ああ、そうか……」と祖母は自信なさそうに応え、「ばあさんはさっぱりまなぐわるぐなるす、ぼげですまって(目が悪くなるし、呆けてしまって)……」と、目を宙に泳がせてさみしそうに呟きました。

それでも、その頃までの祖母は、父や母の手を借りながらトイレを往復することができました。が、今はかたときもオムツなしには暮らせません。階下の声も、母たちが祖母のオムツを替えている会話のようです。なだめるように「みんなじゅんばん、じゅんばん……」とくり返す母の声に続いて、「つかまって……。ゆっくり立って……。そうそう」と祖母を促す父の声と、ベッドの軋む音が小さく聞こえます。

私たち兄弟や妹たちが家を離れてしまって、祖母と三人だけになってしまった父と母の朝は、ふたりして祖母の下(しも)の世話をすることから始まります。祖母の「百歳の祝い」に帰省して、耳を当てた枕の底から、とぎれとぎれに聞こえてくる階下の三人のやり取りに、聞くともなしにしばらく耳を澄ませていました。

祖母が島に嫁いで80年立ちます。嫁ぐ時、「島にはまむしがいるから気をつけろ。特に亀山の向こうの沢はまむしの巣だから近づくな……」と誰かに言われたそうです。亀山の向こうとは、対岸の祖母の実家から見て、島の北の端にちょこんと盛り上がる亀山がゆるく尾をひいて太平洋に落ちるあたりになります。そこは、歩くと砂が鳴くような不思議な音を出す「鳴き砂」の「十八鳴浜(くぐなりはま)」になりますが、80年も住んでいる島なのに、祖母は、一度も行ったことがないと言います。「まむしの巣だから近づくな……」のひと言が、よほど頭に強くこびりついていたのです。


鳴き砂の中より拾ふ桜貝    瀬波久子
鳴き砂のこゑを蹠に海施餓鬼  岡地蝶児

「鳴き砂」の乾いた砂の上を、底の平らなズック靴で擦るようにして歩くと、砂の粒子が擦れあって「クックッ」あるいは「キュッキュッ」と音を出します。ガラスを磨くように「キュッキュッ」と鳴る時は砂の乾燥がいい状態です。ズック靴と砂の擦れあう不思議な感触が、足の裏を通してくすぐったく伝わってきます。この「クックッ」と鳴く音を「九、九」と漢字で表記し「九+九」が「十八」になることから「くぐなりはま」と呼ばせたのでしょう。

 


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