東京ふうが54号(平成30年夏季号)

コラム はいかい漫遊漫歩 『春耕』より

松谷富彦

(84)  絶滅のかの狼を連れ歩く  三橋敏雄

 掲題句は、三橋敏雄の第二句集『眞神』130句中の一句である。本人筆の句集後記から引く。

〈(句集の)題名とした「」は『大言海』に「狼ノ異名。古ヘハ、狼ノミナラズ、虎、大蛇ナドモ、神と云へり」とある、其である。併、斯る栄称に、曽て永くも堪へて来た狼の生態は、多くの滅び行くものに準じて、既に我国の山野から滅び去って久しい。今、畏みつつ親しまうとするならば、例ば、武蔵国は御嶽神社、或は、同じく三峯神社等の祭神を相け随ふ地位に祀られて座す大口真神、即、広く火災盗難除去の効験をのみ担ふ所の英姿を、其護符上に拝する許である。〉

「眞神」ことニホンオオカミは、1905年(明治38年)に奈良県東吉野の鷲家口で捕獲された若雄を最後に絶滅したと見られている。だから掲題句の狼は、三橋の心象のそれであり、祖先たちが神と呼び、畏怖し、崇め、ともに生きとし生きて来たものへの追悼、寂寥の句と言える。東京八王子に生れた三橋には、句集の後記にあるように御嶽神社は産土の社であり、随神の眞神は身近な心象として存在し続けた。

 敏雄は2001年に81歳で逝くが、狼を祀る武蔵国のもう一つの社、三峯神社所在の秩父を産土の地とし、今年(2018年)2月20日に98歳で逝った長寿俳人・金子兜太が、狼の句を詠み続けてきたことに通底するものを感ずる。兜太は、主宰誌『海程』の巻頭「東国抄」に狼連句を載せ、後に同名の句集を上梓する。
連句から五句を引くが、『金子兜太自選自解99句』(角川学芸出版)、『語る兜太』(岩波書店)の「金子兜太95歳自選百句」、『いま兜太は』(岩波書店)の自選自解百八句」でもかならず上げるのは*印の三句。
*おおかみに蛍が一つ付いていた
*狼生く無時間を生きて咆哮
*狼墜つ落下速度は測り知れぬ
狼を龍神と呼びしわが祖
おおかみが蚕飼の村を歩いていた

ここで〈 おおかみに蛍が一つ付いていた 〉の自句自解を引く。

〈七十代後半のあたりから、生きものの存在の基本は「土」なり、と身にしみて承知するようになって、幼少年期をそこで育った山国秩父を「産土」と思い、定めてきた。そこにはニホンオオカミがたくさんいた。明治の半ば頃に絶滅したと伝えられてはいるが、今も生きていると確信している人もいて、私も産土を思うとき、かならず狼が現れてくる。個のとき、よく見ると蛍が一つ付いていて、瞬いていた。山気澄み、大地静まるなか、狼と蛍、「いのち」の原始さながらにじつに静かに土に立つ。嵐山光三郎さんがこの句を読んで、「あんたの遺句だ」と言ったのを覚えている。〉

ちなみに「狼」は冬の季語である。(文中敬称略)


(つづきは本誌をご覧ください。)