東京ふうが通巻66号令和3年夏季号

東京ふうが66号(令和3年夏季号)

韓国俳句話あれこれ 11

本郷民男

▲ 韓の秋の空

 1926年の『朝鮮俳句一万集』の、秋の句を天文から見ましょう。

流星の走り抜けたり天の川  京城 無一
月の出を待たで始むる酒宴かな  都天子
墓山や墓一つ増し秋晴るる  京城 峰月

旅行者として韓国を訪れた時に、秋の青い空と星がたくさん見えることが、印象的でした。昔はさらに美しかったでしょう。ソウルでも、流星や天の川を楽しめたでしょう。
韓国の月見は旧暦の1月15日で、8月15日ではありません。けれども、日本人は8月15日の月見を愉しんだでしょう。
韓国では墓を山所と呼ぶように、山に土葬するのが近年まで普通でした。土饅頭のような個別墓です。今は火葬して公園墓地に埋葬することが多いです。


▲ 雨や霧など

売れぬ牛曳いて戻るや秋の雨   ゆり子
仰ぎ見る火の見櫓や霧深し  平壌 郭山
日を背に辿る峠や松の露   木浦 庵星

牛は労役や食料で重要で、牛の市場がありました。売れずに帰る時に雨では、泣き面に蜂です。しかし、秋の雨は日本ほど降りません。霧は今でも多いです。住んでいた慶州でも、夜明けに深い霧がかかるのが、ごく普通でした。今の日本は市街地の乾燥と最低気温の上昇で霧が少ないですが、そのほうが異常です。でも、朝霧の日は必ず晴れます。露も今の韓国ですら多いので、昔はさらに多かつたでしょう。
「庵星」は、「星庵」が正しいです。『カリタゴ』創刊号の改号一束に「村上星庵氏 このたび星洞に」とあって、村上星洞(直助1875~1966)の前号が星庵であったとわかります。木浦の商工会議所会頭はもとより、朝鮮商工経連副会頭にもなった実業家です。没後の句集『時雨』に星庵時代の句が抜けており、ようやく見つけた星庵時代の句の一つです。


(つづきは本誌をご覧ください。)