コラム「はいかい漫遊漫歩」
「春耕」誌より転載
松谷富彦
216 白玉にとけのこりたる砂糖かな 高浜虚子
紙芝居「黄金バット」の作者、風俗考証家、評論家で思想の科学社の社長も務めた加太こうじさんが没して四半世紀が過ぎた。庶民的な味を愛した美食家でもあった。博覧強記の加太さんは、大正、昭和の庶民生活、風俗考証の著作を数多く遺した。
一九八八年上梓の『江戸のあじ東京の味』(立風書房刊)から〝夏の涼味 〟として江戸、東京庶民から愛されてきた夏の季語でもある「白玉」の話を引く。
白玉売りというのは、江戸では粋な行商だったらしい、と加太さん。
〈 天秤棒で前後に桶をになって夏の午後になると売りにくる。桶には汲みたての井戸水で冷した白玉がはいっている。よびとめて小皿をだして白玉に白砂糖をかけたのを入れてもらう。冷たくて甘くて、白玉のつるりとした舌ざわり、歯ざわり…〉
〈 江戸時代から明治初期へかけては、夏の食用氷は天然氷だけだった。…天然氷を食べられるのは将軍か大名中の条件のいい人だけといってよかった。それ以外は長野県や岩手県などの高山でくらしている人だけだった。〉それゆえ江戸ではところ天と白玉が涼味を感じさせる間食だった、と加太さん。
白玉粉は、糯米(もちごめ)六割、粳米(うるちまい)四割を水にひたして磨いで粉にする。冬の寒いときに作るからカンザラシともいう。〈 東京に近い千葉県の松戸市が白玉粉の名産地 〉と加太さんは記すが、執筆から四半世紀すぎた現在はどうなっているか。
〈 白玉粉を水で固めにこねて、厚くて大きい碁石のような形にして、熱湯に入れて茹でる。浮き上がると茹であがりで、冷水で冷す。東京の風習としては白砂糖をかけるだけで、餡はつけないが、今は氷白玉、小倉白玉その他で、小豆餡をつけて食べる人が多い。〉と書くが、さてこれも今はどうか。
白玉の雫を切って盛りにけり 日野草城
白玉にいろどる紅や祭りの日 長谷川かな女
白玉は何処へも行かぬ母と食ぶ 轡田 進
白玉や子のなき夫をひとり占め 岡本 眸
白玉や母子誕生の月おなじ 安住 敦
白玉の器の下が濡れにけり 綾部仁喜
白玉やうなづくばかり子の返事 目迫秩父
白玉の白の浮力を冷しけり 中尾有為子
白玉や好きと無邪気に言える仲 夢野はる香
白玉や母に似てきしことばかり 池田世津子
白玉にいろどる紅や祭りの日 長谷川かな女
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白玉の器の下が濡れにけり 綾部仁喜
白玉やうなづくばかり子の返事 目迫秩父
白玉の白の浮力を冷しけり 中尾有為子
白玉や好きと無邪気に言える仲 夢野はる香
白玉や母に似てきしことばかり 池田世津子