「俳句研究室」カテゴリーアーカイブ

俳句鑑賞

「墨痕三滴」佳句短評

蟇目良雨による俳句鑑賞。(お茶の水俳句会会報396号以降)

俳句鑑賞「墨痕三滴」

高木良多、蟇目良雨による俳句鑑賞。(お茶の水俳句会会報395号まで)

第323回:芦の角・蜆・流し雛

お茶の水俳句会から秀句をご紹介します。
 
第323回 2012年3月12日(月) 於:文京区民センター
兼題:芦の角・蜆・流し雛、  席題:沈丁花・若布
 

蘆の角古事記の神の山見ゆる     高木 良多

雛流し桟橋に巫女動かざる      堀越  純

あさぼらけ湖に水尾洩く蜆舟     太田 幸子

 

第316回:流星・稲の花・水引の花

お茶の水俳句会から秀句をご紹介します。
 
第316回 2011年8月1日(月) 於:文京区民センター
兼題:流星・稲の花・水引の花、  席題:秋暑し・葛の花
 

義経の落ち行きし海流れ星     高木 良多

流星の尾を曳きてゐる竹生島    積田 太郎

最澄の山黒々と星流る       深川 知子

 

第308回:熊・けんちん汁・冬帽子

お茶の水俳句会から秀句をご紹介します。
 
第308回 2010年12月13日(月) 於:文京区民センター
兼題:熊・けんちん汁・冬帽子、  席題:木菟・空っ風
 

けんちんや雲版を賞め席に就く   高木 良多

門前の花屋を覗く冬帽子      荻原 芳堂

牛売ってけんちん汁を囲みけり   乾 佐知子

 

第307回:破芭蕉・十一月・時雨

お茶の水俳句会から秀句をご紹介します。
 
第307回 2010年11月1日(月) 於:文京区民センター
兼題:破芭蕉・十一月・時雨
 

しぐるるや昼を灯せる川漁師   石川 英子

泥のまま馬に投げやる屑大根   鈴木 大林子

十一月深川飯をかきこめり   長沼 史子

 

真葛原風の荒ぶる吉野みち

高木良多講評
東京ふうが 平成22年 秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報304号~306号より選

真葛原風の荒ぶる吉野みち  積田 太郎

 

吉野みちは天智天皇からの難を避け、大海人皇子(のちの天武天皇)が逃れたところ。「風の荒ぶる吉野みち」がそれを象徴。


第306回:葛・月見・水澄む

お茶の水俳句会から秀句をご紹介します。
 
第306回 2010年10月4日(月) 於:文京区民センター
兼題:葛、月見、水澄む
 

わが家の上にばかりや秋の雷   高木 良多

能登荒れの波そのままに葛嵐   蟇目 良雨

玄奘の超え行きし山夜半の月   石川 英子

 

鑑賞「現代の俳句」(27)

屋根獅子シイサアの膝をのり出す鰯雲  岸本マチ子 [海程・WA]

「俳句」2010年9月号

 シイサアは、沖縄県などにみられる伝説の獣の像。建物の門や屋根、村落の高台などに据え付けられ、家や人や村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けということである。獅子が訛ってシイサアとなったと言われるがこの句の手柄は屋根獅子と書いてシイサアと読ませたことだろう。空にもっとも近い屋根獅子が鰯雲に近づくように膝を乗り出しているように見えたと表現したことで俄然面白くなってきた。こうした遊び心が句を楽しくさせてくれるのである。写生句であるが「膝をのり出す」と見たところに作者の俳諧の主観がこめられている。

 過日、神保町の古書店で氏の著書『海の旅 篠原鳳作遠景』を買って読んだが<しんしんと肺碧きまで海の旅 鳳作>を代表句としてわずか三十歳で死んだ篠原鳳作の短き波乱に富んだ一生を迫真の筆致で描いていたことに驚いたことを思い出した。

 

菜種殻うはなり打ちによかりけり 大石悦子 [鶴・紫薇]

「俳壇」2010年9月号

 菜種を採ったあとの菜種殻はよく燃えるので松明の穂先に使われ火祭や左義長に欠かせないものである。また柔らかで且つしなやかなために箒にも使うことがある。この菜種殻の箒は蛍狩にも使われるのでその柔らかさが想像できるだろう。
 一方、「うはなり打ち」とは中世にあった風習で、離縁された先妻が後妻(うわなり)のところへいじめに行くことを言う。別れてひと月もたたない内に再婚してしまった前夫への仕返しなのだがそのとばっちりを後妻が受けるという図式。

 予告して押しかけるのであるが女ばかりで行くにしても木刀や竹刀などを持ってゆくので襲われた後妻の方は驚いたことであろう。作者は木刀や竹刀の代わりにこの菜種殻を用いてあげたらいいのにとつぶやいているのである。
 「菜種殻」と「うはなり打ち」を結びつけて句が俄然面白くなったが、歴史ものに素材をとって蕪村的世界が描けたのではないだろうか。

葛の葉のふたごころあるざはめきか 角谷昌子[未来図]

「俳壇」2010年9月号

 葛の葉が秋の季語になっているのは「葛の葉」が風に翻って白い裏を見せる「裏見」が「恨み」に転じて秋のあわれさ と結びついたからである。

葛の葉のうらみ貌なる細雨(こさめ)かな 蕪村

など季語の内容むき出しの使い方である。
 掲句は真葛原の発するざわめきの様子を「二ごころある」ざわめきと看做したところが非凡である。凡人には決して見えてこない把握の仕方であると感心した。見えないものを見るように努めるのが詩人の仕事。


第305回:胡麻の花・風の盆・秋意

お茶の水俳句会から秀句をご紹介します。
 
第305回 2010年9月13日(月) 於:文京区民センター
兼題:胡麻の花・風の盆・秋意、 席題:赤とんぼ・おしろいの花
 

おしろいが咲き裏町の灯り初む   高木 良多

てのひらを月に返して風の盆    蟇目 良雨

終バスの遠退く尾燈虫の闇     荻原 芳堂

虚無僧の尺八湿る秋意かな     鈴木大林子

吹き晴れし沼のほとりや赤蜻蛉   乾 佐知子

風の盆果て水音の戻りけり     花里 洋子

痛み止めゆるやかに効き秋意かな  井上 芳子

胡麻の花乾き切つたる大地かな   長沼 史子

茶柱のゆるがぬ今朝の秋意かな   石川 英子

帯決めて連を繰り出す風の盆    元石 一雄

東大寺まで奈良坂を油照      積田 太郎

 

第304回:処暑 ・ 病葉 ・ 晩夏

お茶の水俳句会から秀句をご紹介します。
 
第304回 2010年8月21日(土) 於:文京区民センター
兼題:処暑 ・ 病葉 ・ 晩夏
 

青竹の節の白さよ処暑を過ぎ  高木 良多

似顔絵を売るアラブ人晩夏光  鈴木大林子

夕映えの一筋伸びる処暑の山  元石 一雄