東京ふうが 31号(平成24年 秋季号)

銃後から戦後へ 23

東京大空襲体験記「銃後から戦後へ」その23

〈 東京駅物語 1〉= 夕立を四角に逃げる丸の内 =

鈴木大林子

私の知る限り、平成24年の東京で話題になった工事と言えば、例の東京スカイツリーの建設と並んで東京駅の大改修工事が擧げられると思います。この東京駅、実は私の人生にとっても切っても切れない関係にある駅で今でも忘れることのできないエピソードもいろいろありますが、その前にこの駅の生れた大正3年にタイムスリップしてお話を始めることといたします。

皆さんが御存知のとおり、我が国で初めて鉄道が営業を開始したのが明治5年。この年の10月14日(旧暦)に明治天皇の行幸を仰いで盛大な開業式典が行われたので、この日を鉄道記念日(現在は「鉄道の日」)として現在に至っております。但し、この時開業したのは鉄道唱歌の歌い出しに「汽笛一声新橋を」とあるとおり、新橋(旧汐留貨物駅跡、現在は鉄道発祥のポイント地点として始点を示すゼロキロ標が保存されています。)と横浜(旧高島貨物駅跡)の間で、当然東京駅はまだ生れていません。その後、民営の日本鉄道線が上野駅を起点として北へ。同じく民営の甲武鉄道線が飯田町(現在メトロポリタン・エドモンドホテルのある所)を起点として西へ延びましたが、その3点を結ぶエリアは鉄道国有法によって両線共国鉄線となった後も依然として空白のまゝでした。
明治も30年代に入ると中央停車場建設の機運は益々高まって来ましたが、その実現を阻んだのは第一に土地の問題であります。
日本を代表する中央停車場ともなれば欧米列強に負けない規模のものが必要なのは当然ですが、既に都市化の進んだこのエリアの地価は高く、財政難の政府ではとても手が出せません。そこで眼を付けられたのが丸の内でした。

(つづきは本誌をご覧ください。)