東京ふうが83号(令和7年秋季号)
サブタイトル
韓国俳句話あれこれ 28
本郷民男
▲ 『かさゝぎ』と池内(いけのうち)たけし
正岡子規の遠縁の歌原蒼苔(恒)が、大邱で大洪水にあった頃に、釜山でホトトギス系の俳誌である『かさゝぎ』が創刊されました。1925年(大正14)年7月のことです。編集兼発行人が池園豊(俳号が木鶏)で、雑詠選者が池内たけしです。ただし、実際に編集にあたったのは高柳草舵(荘太郎)だと見ています。池内たけしは高濱虚子の兄の池内信嘉の長男で、ホトトギス発行所に勤めていました。また学生の頃に短時間ですが、京城に住んだことがあります。
翌1926年9月9日に、池内たけしが鮮満旅行へ向かうべく、東京を出発しました。釜山には9月17日に着き、池園木鶏の家に泊まり、かさゝぎの人々と初めて会い、句会を重ねました。
▲大邱の俳句事情
9月20日に釜山を乗用車で出た池内たけしは、慶州に着いて仏国寺と石窟庵という、新羅の二大遺跡を見ました。その日は慶州に泊まり、21日にバスでへ向かいました。
11時に大邱駅に着いて、歌原蒼苔や住繁金蓮花等に迎えられました。その後図書館に行き、蒼苔の案内でたけしの親戚の山川老宅に行き、3人で松山弁の会話を愉しみました。夜は拓殖銀行倶楽部で15人の無月句会となりました。22日は雨のためにたけしが大邱に滞在し、夜は宿で6人だけの句会を行いました。たけしは翌23日に鉄道で大邱を去りました。
雑誌『かさゝぎ』は現在どこにも残っていません。ただし、インターネット・オークションで纏まったものが取引されたことがあります。それを知ったのは落札後です。オークション用に公開された画像で、いくらかを見ることができました。かさゝぎの社友に、住繁金蓮花が入っていました。また、大邱支部報が載り、蒼苔の3句が載りました。つまり、ホトトギスの大邱支部が、かさゝぎ支部を兼ねるようになったということです。
▲図書館長としての活動
1929年の全国教化団体名鑑に、植民地を含む各地の図書館が収録されています。「朝鮮」の最初が大邱図書館です。それには、館長山崎眞雄・主任歌原恒・事務員兪泰乭となっています。この山崎眞雄は東大卒の大邱府尹です。韓半島を植民地にした時に、県にあたる道の下に、大きな町の府、その他の郡を置き、府の長を府尹、郡の長を郡長としました。もともと府尹という役職があったので、その流用です。ともあれ、市長にあたる府尹が兼任した図書館長は名ばかりで、主任の歌原蒼苔が実際の館長でした。
1931年8月に一週間にわたる「図書館事項講習会」が開かれ、歌原恒も参加しました。
1935年の図書館協議会の朝鮮部会では、地方に小図書館を設置せよという建議を歌原恒が行いました。事前に朝鮮総督府から諮問があり、答申の起草者の一人が歌原恒です。会議において歌原恒が説明をしました。朝鮮では全体に51の図書館があるが、人口40万人に一つでしかない。よって、各地に小図書館を設置せよというものです。