東京ふうが72号(令和5年冬季・新年号)

素十俳句鑑賞 百句 (11)

蟇目良雨

 
(81)
一人来て種蒔くまでの畦往来
昭和17年

 種は稻の籾種のこと。花や野菜の種は物種と区別して言う。農業に於いて米作りが如何に大切であったかを知る厳然たる区別である。したがって種蒔は籾蒔とも言う。籾を蒔くとは苗代を準備しておいてから蒔くので、苗代の出来具合や種籾の仕上がり具合を確かめながら畦を何往復もして納得のいくまで時間を使っている農民の様子が描かれている。「一人」「畦往来」にそれが表現されている。

(82)
種蒔の一人一人の五六人
昭和19年

 米作りは農民一人一人の勘と信念で行われる。種蒔は籾の発芽し易さを確認しながら、苗代の土の仕上がりなどを確認しながら一人の責任で行う。五六人見える種蒔ながら偶々種蒔日和が重なったのだろう。示し合わせて一斉に種蒔をしたわけではない。新潟に住んで農民に親しんだから、農民の生き様に共感したからこのような句が出来たのだと思う。素十の生家は中農の家だが、蛇嫌いで幼少期に農業を手伝ったという話を聞かない。


(83)
苗代に落ち一塊の畦の土
昭和18年

 苗代は用水さえあればどこにでも作られるが、大方は田んぼの中に作られる。田んぼの一部を仕切って泥土を盛り上げ床(ベッド)を作る。その上に籾を蒔き稲の苗を育てる。寒冷地では保温のためにビニールで覆う。かつては油や渋を塗った障子で覆った。掲句は覆いの無い苗代で畦を歩いて見回りに来たときに畦の土が落ちたところを詠っている。その土は塊のまま残っている。畦の際まで苗代が作られていたのだろう。


(つづきは本誌をご覧ください。)