東京ふうが52号(平成30年冬季・新年号)

(出雲・松江)古事記の国に遊ぶ Ⅰ

石川英子

正月旅行は、聞いた事もない地名のサービスエリアに遊びながら島根県まで車で行った。

快晴の駿河富士を富士川SAにて 7時半から1時間満喫。そして浜名湖、御在所、甲賀土山を経て、忍者の里・甲南で忍びの者達と麺とお握りの昼食休憩。岡山県に入り福山SAの笑い門松の歓迎を受けたのが夕方五時。尾道自動車道をひた走り、三次東JCTにて松江自動車道に入ると、くねくねと曲がり次々と現れる隧道の出口で、強烈な夕日の出迎えを受け辟易した。たくさんの古墳の間を抜けて、夕日の聖地・出雲市の大社道に出たのは、とっぷり暮れた18時過ぎ。刈田と水路に、ガードレールなしの細い道だ。出雲の宿グリンリッチホテル着、18時50分。

方言のお出迎え、「宿で雪ずり。家の屋根から雪がずり落ちるだって。だんだん(ありがとう)。」正月5日までホテルの夕食はなしとの事。落ち着く暇もなく夜の町へ。JRの北口はホテルが多く、食堂は休み。JR出雲駅の構内に入る。松江、米子方面と太田、浜田方面の列車が1時間に2〜3本あるが、20時を過ぎて森閑と静まり返っていた。駅の南側に「すき家」が営業していた。鍋料理定食の軽い食事をして帰ると、ホテルはおろち大蛇通りという所だった。息子は大浴場、私は部屋の風呂を済ませて就寝。

正月4日、6時起床。ホテルの和定食。鯖の塩焼き、出雲そばのとろろ掛け、サラダに蜆汁大盛。昨夜来の霙が車の窓を白く染めていた。大社へは一畑電車(ばたでん)が直通であるが、残念である。

神々のお座しになる四囲の山々からは湯気の様に雲が吐き出され、青空へ登って行く。

八雲立つ出雲大社参拝。二拝四拍手一拝。平成の大遷宮第一期が平成20年4月から28年3月。第二期は28年から31年3月までという事で、鎮守社、宝物殿修造と庁舎建て替えの最中で、大国主大神様は現在、御借所に在られるとの事だった。
平成15年10月3日に天皇・皇后両陛下が御親拝になって居られる。

※ 古事記出雲大社縁起より。祭神・大国主命は、素戔嗚尊と稲田姫尊との間に生まれた御子神で、「稲羽(因幡)のしろうさぎ素兔」の神話で知られる命の蘇りの神であると言われる。

〈大国様の歌〉
一、大きな袋を肩にかけ  大黒様が来かかると
ここに因幡の白兎   皮を剥かれて赤裸
二、大黒様は哀れがり   きれいな水に身を洗い
蒲の穂綿にくるまれと よくよく教えてやりました
三、大黒様の言う通り   きれいな水に身を洗い
蒲の穂綿にくるまれば 兎は元の白兎

人の一生は苦難に満ちており、袋背負いはその一つのお姿である。人生七転八起。幾度も転んでは起き上がる力。大黒様は、苦しみに苛まれ、死の淵に沈まれ続けながら、見事にそこから蘇り、復活を顕された。―中略― 背負われた袋の中には、私達が知らず知らずに生じた苦難、悩み、煩い等が入っており、大黒様は私達を救うために身代りとなって、それらを背負って下さっているのだと…。


(つづきは本誌をご覧ください。)