東京ふうが77号(令和6年春季号)

歳時記のご先祖様 11

本郷民男

─ 『淸嘉録』 ─

〇 江南・蘇州の残照

 『淸嘉録せいかろく』という書名でありながら歳時記であることは、「知る人ぞ知る」でしょう。淸嘉録が刊行されたのは、清の道光十年(1830)です。普通の歳時記は地域限定ではないのに対して、『淸嘉録』は蘇州の歳時記です。春秋戦国時代の呉が後の蘇州を首都としました。揚子江の下流に南京と上海という大都市があり、蘇州はその間です。清の時代には交易都市として栄えていました。最盛期の蘇州を描いた全長12mもの「盛世滋生圖」(1796年)が、繁栄を忍ばせます。蘇州夜曲を思い浮かべる人も多いでしょう。
 『淸嘉録』の作者は顧禄ころくです。顧禄は科挙を受けたものの不合格で、経歴の記録が残っていません。道光十五年(1835)に強仕きょうし(40歳のこと)だったとする文献があり、逆算で1796年頃に生まれたという説があります。『淸嘉録』は雑学の本です。顧禄が雑学を好んで市井に遊んでは記録したので、高級官僚や学者が書かないことが書かれています。

〇正月の風景

 元旦には、庭の掃き掃除・水汲み・針仕事・便所掃除・茶を沸かすなど、禁止事項がたくさんあります。では寝正月できるかというと、夜が明ける前に家じゅうの者を叩き起こします。新しい衣服を着て、新しい靴を履きます。男は門を出て、喜神の方角へ歩きます。何だか、恵方参りのようです。
 日本なら神社やお寺に参拝しますが、蘇州では道観(道教の寺)かお寺に行きます。中でも町の中心にある円妙観が最も賑わいました。露店でいろいろな品物を売る他、曲芸が演じられます。高竿索上は竿を登って上に挿した旗を抜きます。走索は綱渡りです。呑剣は長い剣を呑みこみます。舞盆は皿廻しです。いろんな手品もありました。猿回しもいました。これは今でも正月の季語です。「西洋鏡」は、覗きからくりです。レンズが発明された西洋で作られ、中国にも日本にも同じころに入ったようです。夏の季語に「起こし絵」や「立てばんこ」があります。覗きからくりとは少し違うようですが、近代の俳人が「立てばんこ」として覗きからくりの句を詠んでいます。


(つづきは本誌をご覧ください。)