東京ふうが77号(令和6年春季号)

韓国俳句話あれこれ 22

本郷民男

▲ 高官俳人の小原烏兎子

 小原烏兎子(新3・1873~1953)は、東京で士族小原實の子として生まれ、一高を経て1897年に東大政治学科を卒業しました。高文に合格して高級官僚へと累進しました。新潟県知事を最後に1925年に退官し、その翌年に新潟の馬場三葉が編集・発行した『烏兎子句集』が残っています。
 句集中の「李氏朴氏」が、1910年から1919年までの韓半島在任中の作品となっています。本人が序を書いていないので、烏兎子がいつから俳句を始めたかといったことは判然としません。「医者に見放されそうになって病院で読んだ七部集に、ホロリと泣いた」ということを、三葉が書いています。烏兎子は病気で東大を一年休学したので、その時かも知れません。1908年に『東奥日報』へ、こんな論を載せたそうです。
 僕は所謂俳人程、世の中に下らぬもの  はないと思うてゐる。発句や俳諧で飯を喰うてゐる男が、若しも、世の中にあるとすれば、僕は唾でもひつかけてやりたい。定まつた職業なり、仕事なりがあつての道樂でこそ床しいのだ。芭蕉は一代の傑だが、學ばうとは、僕は思はぬ。…

▲ 韓半島への赴任

  「李氏朴氏」によると、1910年(明治43年)9月から朝鮮在任とあります。しかし、官報では確認できません。この年の8月29日に大韓帝国が日本へ併合され、統治の要員として派遣されたのでしょう。当初は朝鮮総督府地方局長となり、1911年初めには、平壌などに出張しました。

 〽初日洽(あま)ねし雪に相賀す李氏朴氏

 この句から「李氏朴氏」という章の名が付いています。朝鮮王朝の始祖が李成桂イソンゲで、新羅の始祖が朴赫居世パクヒョッコセなので、李(スモモ)と朴(ヒョウタン)は大変に多い名前です。

東萊温泉にて、本来面目
〽元日の湯槽ゆぶね出でたる裸かな

 韓国にも温泉があります。釜山の東萊トンネ温泉は人気があり、私も一泊したことがあります。前書きの本来面目は、禅の公案として有名です。烏兎子には鎌倉で参禅したと書いてあるように、禅者を思わせる句があります。

大正八年所感
〽春王正月天是天地是地

 こちらは京城での最後の正月の句です。

〽天玄地黄にして處々の紅霞哉

 『易経』坤の巻の最後に、「天玄而地黄」とあります。乾坤が天地のことで、その纏めです。夜の空(天)は真っ黒(玄)であり、地面(地)は黄色です。梅が少ない国ですが桜が咲くので、紅霞となります。


(つづきは本誌をご覧ください。)