東京ふうが77号(令和6年春季号)

「素十名句鑑賞」 15

蟇目良雨

(121)
綯ひ上ぐる縄を頭の上までも   昭和12年

 細縄は手のうちに綯ふしより〳〵と
  太縄を綯ふや体を傾けて

 農民の縄を綯う姿を描いている。三句あるので連作と言えるかも知れないがどれも捨てがたい。独立しているのである。
 一句目は縄を捩っていて先端が頭の上にまで跳ね上がったところを写生。二句目は細い縄を掌だけを動かして揉み合わせているうちに仕上がる細縄の特徴をきちんと押さえている。三句目は太い縄(注連縄のようなもの)を綯う時は全身を使わないと出来ないことを写生している。即ちどの句もそれぞれに独立しているのであるからこのような表記になったので決して連作ではない。
 ライバルの秋櫻子が『葛飾』を出した時に虚子から連作の行く先を期待していたが、「たったあれだけのものでいたか」と否定された連作に素十は踏み込むことをしなかった結果がこの三句の位置づけである。

(122)
毛見のあとより一人出て先に立つ   昭和11年

 素十の句を見ていると実に細かく農民を取り巻く生活を描いている。そしてそこに出て来る季語が、令和の時代には死語になってしまっていることに気が付く。私が何時までも素十の作品を紹介しているのも素十の時代の言葉を忘れないためである。
 毛見とは秋にどれだけの収量が期待できるかを格付けする役人のこと。厳しく徴税するために厳しく田の隅々まで検査した。掲句の「一人」とは地主か、その手代であろう。終戦時に行われた農地解放前の当たり前の光景がここに記録されている。「一人」は毛見の役人の前に立ってすべてを見せようとしているが、実は地主の不利にならないように田を選んで案内していることも暗示している。世の中は駆け引きの連続である。


(つづきは本誌をご覧ください。)