東京ふうが78号(令和6年夏季号)

韓国俳句話あれこれ 23

本郷民男

▲ 家集『合歓の花』

 京城で一家三人の句を載せた句集がでました。如氷・松汀女・二三子の新田一家です。如氷(如水ではない)とは、留次郎の俳号です。留次郎(1873~1942)は、石川県で生まれ、1897年に東京帝大の土木を卒業した技術者です。なお、四高工科の1894年卒業者名簿に、竹田留次郎(新田留次郎)とあるので、新田家の養子になったようです。1906年に韓国統監府が置かれ、大韓帝国が半植民地になった時から、留次郎は統監府技師として鉄道建設の仕事にあたりました。1910年には朝鮮総督府が出来て、鉄道局が置かれました。鉄道局は局長の下が課長です。工務課長をしていた1927年に朝鮮鉄道に引き抜かれて、専務となりました。土木学会朝鮮支部長などの要職も占め、在任のまま没したようです。
 松汀女夫人と二三子令嬢は、如氷の影響で俳句を始めました。『合歓の花』は1926年に二三子が結婚したことから、親子三人の句集として1927年に発行されました。高浜虚子と楠目橙黄子が序文を書いています。

▲ 新年と春の句

玄關や零下二十度の三ケ日    如 氷
縫初や古針箱に古鋏       松汀女
淋しさや彈初めとなく琴鳴らす  二三子
戻り來し我が家の門や猿廻し   松汀女
ふと見たる帷の月や歌留多とる  如 氷
首飾胸に跳れる手毬かな     二三子
 
 ソウルは今でも零下20度くらいに下がることがあり、当時の正月は寒かったでしょう。他は日本の正月のようで、知らなければ内地の句と思うでしょう。日本式の生活を持ち込んでいました。 『ホトトギス』1923年8月号を見ると、句会報に三人、雑詠に二人の句が載っています。
 
ケナリ詩社(京城)
戸袋の上の一房藤の花      松汀女
藤棚や池の眞中の捨小舟     二三子
袷着て帽子買ひ度く出かけゝり  如 氷
虚子選 雑詠
行過て思ひ出し名や花見人 朝鮮 松汀女
雨いつか止み居し傘や山櫻 同  二三子
 
 これらの句は、句集に載っています。袷の句だけ夏で、後は春の部です。『ホトトギス』の他、韓国内の俳誌に載った句を中心に編集されています。


(つづきは本誌をご覧ください。)