コラム はいかい漫遊漫歩 『春耕』より
松谷富彦
(80) 「鶏頭」句に文語文法で迫る新論考登場(上)
現代俳句協会の第37回現代俳句評論賞(2017年)を受賞した松王かをり(「銀化」同人)の「『未来へのまなざし』―『ぬべし』を視座としての『鶏頭』再考―」は、文語文法を手掛かりに子規俳句〈鶏頭の十四五本もありぬべし〉の深層に迫る画期的な俳論である。
新論考に入る前に「鶏頭」句の評価の流れに触れておく。子規の死の2年前に子規庵で虚子ら19人が参加して開かれた句会の席題は「鶏頭」。庭に咲く鶏頭の嘱目吟を各自10句出しで、子規は〈鶏頭の十四五本もありぬべし〉を含む九句を投句した。点盛り句百89句から各自17句を選句。〈鶏頭の十四五本もありぬべし〉は中山稲青、岩田鳴球が選らんだものの虚子は採らなかった。
後に「鶏頭論争」を巻き起こすこの句を、虚子は運座で選ばなかっただけでなく、この句会に参加しなかった碧梧桐と共同編集した『子規句集』(明治42、俳書堂)、後に単独で編集した『子規句集』(昭和16、岩波文庫)のいずれでも同句を搭載せず生涯無視し続けたことが知られている。なぜ最も身近な弟子の虚子が、師である子規のこの句に〈驚くべき頑迷な拒否〉(山本健吉『山本健吉全集8』講談社)を続けたのか。宮坂静生の指摘を引く。〈(提出九句のうち八句は)いずれも写実的な句であり、「十四五本も」の句のみ例外的に観念臭がある〉(『子規秀句考―鑑賞と批評』明治書院)と。
写生俳句を王道としてきた子弟。虚子にとって、師と言えども狂い咲いたような心象句を許容できなかったと言うことだろう。事実、作句した子規も、この一句だけ写生句から離れた句と気付いていた節がある。
句会から二か月後、新聞『日本11月10日号』に「十四五本も」句を必要と思えない「前庭」の前書を付けて搭載している。〈難しくとらず写生句として読んで欲しいという作者の思いからだと思われる〉と『子規秀句考』に宮坂は書く。
「十四五本も」句に最初に注目したのは、子規を短歌の師とした歌人、長塚節だったことは、知られている。斎藤茂吉は、節を追悼した文章『長塚節氏を思う』の中で短歌仲間の節が「この句がわかる俳人は今は居まい」と語ったと記す。そして、茂吉自身も〈万葉の時代の純真素朴にまで届いた「芭蕉も蕪村も追随を許さぬ」ほどの傑作として『童馬漫語』(1919年)、『正岡子規』(1931年)などで喧伝し、この句が『子規句集』に選ばれなかったことに対して強い不満を示した。〉(林桂著『船長の行方』書