東京ふうが53号(平成30年春季号)

(出雲・松江)古事記の国に遊ぶ Ⅱ

石川英子

○ 世界遺産石見銀山
山陰道出雲ICから大田市に入ると間もなく、大きな世界遺産センターが建っている。室町時代に開掘し、90年前まで実際に銀の採掘をしていた銀山地区と、居住者の町並みが残る大森地区と、温泉地区があるが、先ずセンターで説明を伺った。石見銀山の歴史や精錬技術などをジオラマや映像で解説しており、担当の女性が出て来た。「車は乗り入れ禁止。」「15時を過ぎているので、私が山に入るのは無理であるから、センターに作られた間歩を見るように」と言われたが…行動開始!龍源寺間歩までのベロタクシーを依頼したが、にべもなく断られ…即座に貸し自転車屋へ。電動自転車を借りた。2時間700円で、30分延長毎に200円増である。

○ 龍源寺間歩
大森代官所跡、井戸神社、両替商の寺脇家、江戸時代の武家屋敷渡辺家等。非公開の間歩地区に入ると掘りかけの小さな坑道が多数あった。高橋家という銀山の町年寄り組頭の家に近い駐輪場に自転車を止めて、龍源寺間歩まで歩いて登った。江戸時代に開発された代官所直営の坑道あとで、全長600mの内、手前の157mを公開。手作業で掘られたノミの跡や左右上下に走る鉱脈跡を間近に見る事が出来る。15時40分入坑、16時20分には出坑し、清水谷にある曾てたくさんの銀を生み出した八段の巨大な銀製錬所遺跡の頂上まで登った。明治28年に山の斜面を利用して造られた製錬所で、初代石見銀山奉行に任ぜられた大久保石見守長安の間歩の再開発を目標としたが、わずか一年半で操業停止となった。美しく手入れされた芝生、桜の古木には春を待つ冬芽が。江戸初期のシルバーラッシュをもたらした大久保石見守の墓は、銀山川ほとりの大安寺跡に建てられ、辺りは銀山遊歩道となっていた。向い側には現在も開校中の大森小学校があり、賑やかな商店街へと続いていた。
製錬所で大分時間をとったが、17時になる前に弥七という貸し自転車屋に着き、暗くなる寸前に車に戻れた。やはり島根県は千葉県よりも日没までに数10分の猶予があり、快晴の天候にも恵まれて有難かった。

○ 琴ヶ浜
龍源寺間歩を下った坂道を道なりに日本海まで下ると、琴ヶ浜という美しい弓なりの砂浜に出る。歩くと「キュッキュッ」と鳴る鳴き砂の浜で、「日本の渚百選」「日本の音風景百選」に選ばれた名所であるという。地続きに西へ車を走らせると、隣接して銀を積み出した世界遺産の港「鞆ケ浦」があり、夕日が美しい。無理にはめ込んだ石見銀山見学のおかげで早朝から1万9千歩の運動量であった。

ホテルに車を置き、出雲駅の北側の路地を逍遥した。出雲ぶりの注連縄の軒から大きな杉玉を吊った「出雲富士」という造り酒屋の酒蔵があった。駅前通りの割烹やレストランを2、3軒覗いたが、正月に開店している店は皆、お高い所ばかり。蟹1匹=2万円などといった具合だ。小さな店の中から出て来た初老の夫婦が、「いつも来てるが、此処のそばは旨いよ。」と声を掛けてくれたので、丸源という小料理屋に入った。20時になっていたが、夫婦でやっている店でどちらも機嫌よく迎えてくれた。市場が休みで蟹の入荷はないが蟹味噌はあると言う。刺身定食、鰻定食に蟹味噌と蜆たっぷりの味噌汁をつけ、銘酒の地酒「出雲富士」を一本お願いして、親子で蟹味噌を舐めては地酒をチビリチビリと舐めるように味わった。宍道湖の身が厚くて柔らかい鰻と、日本海の鯛、寒鰤、のど黒、烏賊など珍魚の刺身盛り合わせも旨かった。名も知らない海草やご当地の魚の膾とサラダなどが一日の疲れた体に沁み通った。
ホテルの露天風呂と大きな温泉にゆっくり浸かると顔も手足もつるつるに光った。山陰地方の正月風景のテレビをゆっくり見て就寝。
1月5日、6時半起床。連泊の朝食は鮭を主菜に蓮根等の煮染め、サラダ、厚焼卵、豆腐、それに宍道湖の蜆たっぷりの熱い味噌汁。
8時、チェックアウト。快晴の宍道湖には早くも蜆掻きの舟が細波の光に散らばっていた。夕日の聖地と言われる湖面の美しさが思われる。湖面のSAに立ち寄ってゆっくりと宍道湖の砂浜を歩いてから、土産の出雲そば、蜆パイ、奥出雲の丸餅等を買った。


(つづきは本誌をご覧ください。)