東京ふうが 27号(平成23年 秋季号)

銃後から戦後へ 19

東京大空襲体験記「銃後から戦後へ」その19

虎の尾を踏んだ話

鈴木大林子

昼は国鉄の新宿建築区で工事契約担当の事務掛として働き、夜は中央大学の第二法学部で教養課程の勉強をするという生活が1年ばかり続いたある日、区長から呼ばれて「実は岩崎さんから是非君を局に呼びたいという話が来たのだが、行く気はあるかね。私としては今君が居なくなるのはたいへん困るのだが、君の將来を考えれば悪い話ではないと思うからよく考えて返事をするように。」とのこと。勿論後半は社交辞令の定り文句だが、建築区での仕事もあらかた底が見えてきてこの辺で新しい環境に移るのも悪くないと考へ、「よろしくお願いします。」と素直に頭を下げました。

この岩崎さんというのは、私が新宿建築区に配属された時の直属上司である事務助役でこの時は東京鉄道管理局施設部総務課で庶務係長をしていましたが、すこぶる温厚で神経の細かい謹厳実直を絵に描いたような人でした。

区長に返事をしてから2、3日すると局から「課員(三級)を命ズ」という辞令が届き、早速終礼(勤務時間終了の5時になると一応ベルが鳴らされ、全員起立して「オツカレサマデシタ。」と挨拶、こゝで何か伝達事項があれば区長又は担当助役から一言があり、無ければそのまゝ仕事を続けるという、きわめて形式的なもの)で区長から「本日付けで事務掛の鈴木君が本局へ転勤することになりました。いずれ事務助役として当区に戻って来られると思いますが、それまで健康に充分気を付けて」という有難いお言葉を頂き、皆から「オメデトウ」と祝福されましたが、本人にしてみれば何がオメデタイのかサッパリ分りませんでした。

余談ですが(ワザワザ断らなくてもこの連載自体が初めから終りまで余談ですが)、この区長は佐藤さんと言って元は陸軍の技術大尉、豪放磊落な反面人間味に溢れた人で私にとっては恩人の1人なのですが、東北弁が仲々聞き取りにくいことと、これは個人的なことですが、区の野球チーム(勿論軟式)の監督も兼ねていて、チャンスに私が勇躍打席に向うと必ず代打を送ることが欠点と言えば欠点の人でした。また、この人の家(と言っても官舎ですが)へは何回か招かれましたが、奥さんが飛び切りの美人で実家は松島でも指折りの「牡蠣徳」と言う牡蠣問屋ということでしたが、今度の津波で果して無事であったかどうか、今となっては知る術もありません。

(つづきは本誌をご覧ください。)