東京ふうが 29号(平成24年 春季号)

澤木欣一の句集鑑賞

澤木欣一の句集鑑賞

『赤富士』の背景

高木 良多

はじめに
句集『赤富士』は昭和43年から46年に至る澤木欣一、4年間の集作である。私が「風」に入会、その投句が誌上に掲載されはじめたのも昭和43年であるから、私は『赤富士』と共に歩きはじめたようなものである。また『赤富士』の作品の中には、その投影の中に私の過去がたしかめられるといういくつかがある。その意味において『赤富士』一巻は私にとって最も親しい句集であるので、『赤富士』の作品全部を知ることはもちろんできないにしても、私の知りうるものをもう一度掘り起こしてみて、少なくともその作品の背景に迫ってみたいと思うようになったことがこの稿を草した端緒である。


まず、
1 亜浪の墓連翹に芽の走りたり
からはじめる。昭和44年1月15日、江頭正章の斡旋によって中野区宝仙寺の太子堂において開かれた「春耕」(「風」中野春耕、皆川盤水指導。以下「春耕」という)の新年句会に出席されたときの句である。盤水はその「耕人言」に、「宝仙寺に眠る臼田亜浪の墓地での嘱目吟である。臼田亜浪は明治、大正、昭和の三代にわたって俳句界に活躍した不世出の俳人である。大正4年に<石楠>を創刊主宰、俳句道即人間道を説き、つとに俳句の自然感を提唱した俳人である。…」

(つづきは本誌をご覧ください。)