東京ふうが34号(平成25年 夏季号)

<研究>「奥の細道」で芭蕉が新潟を素通りしたのは何故か

「奥の細道」で芭蕉が新潟を素通りしたのは何故か

蟇目 良雨

「奥の細道」が芭蕉の名文あることは論を俟たない。現代においては「奥の細道」は町興しには欠かせない舞台の一つになっている。芭蕉が来たというだけで名所旧跡の仲間入りが出来るのである。
ところが芭蕉・曾良が、長い距離を歩いた新潟県内であったが「奥の細道」の中でその記述はごく僅かである。

このところが新潟人にとっては悔しい限りである。嘗て新潟県内に居住したことのある私もそう思うのである。
その辺りを曾良旅日記や当時の交通路を見ることによって考察してみようというのが本論の目的である。

交通路の問題はすでに新潟市在住の「雪」主宰蒲原ひろし先生により問題提起されており、私の論はひろし先生の論が散逸しないように紙に残すことが仕事であることを先ずお断りしておきたい。
また、なぜ新潟に関する記述が少ないかについても蒲原ひろし先生の傾聴に値するお話もあり其れに付いても披露してみたい。

(つづきは本誌をご覧ください。)