銃後から戦後へ 27
東京大空襲体験記「銃後から戦後へ」その27
= 爆弾三勇士と私 =
鈴木大林子
爆彈三勇士(又は肉彈三勇士)と言っても「何のこっちゃ」と言う人が殆んどと思いますが、今を去ること80余年、かの上海事変の真っ只中の昭和7年(1932年)2月22日に起ったこの事件は日本全土を興奮の渦に巻き込んだものでした。
その時、小生は東京渋谷にある赤十字産院に居りました。居りましたと言っても生後僅か3日目、文字通り一切無一物の存在でした。当時は出産といえば家にお産婆さん(現在の助産師)を呼び、ソレ産ぶ湯だ、ヤレ何々だと家中大騒ぎをするのが当り前で、赤十字産院のような立派な(当時)建物と近代的な設備のある所での出産は稀でしたから、何で一般庶民の中でも貧乏人にランクされる家の子がこゝで生まれたのか、未だにどころか永久に分りません。そんな赤ん坊が世界史年表にも記載されている程の大事件など当然知る由も無かったのですが、それからしばらくした小学校3年か4年ぐらいの時、何の気なしに母に「僕の名前はどうしてタケシなの、誰がつけたの。」と尋ねたところ、母が「お前の名前はお父さんがバクダン三勇士にあやかって付けたんだよ。」と答えたのに対して、バクダン三勇士のことなど何も知らず、又知ろうともしなかった小生はたゞ「ふうん。」と答えただけで、その件についてはそのまゝで終ってしまったのですが、それからしばらくして本屋さんに「爆彈三勇士」のタイトルのある絵本を見付け、なけなしのお小遣いをハタいて購入。すぐに家へ帰って開いて見たところ概ね次のようなことが書かれていました。
(つづきは本誌をご覧ください。)