東京ふうが35号(平成25年 秋季号)

曾良を尋ねて

曾良を尋ねて <1 8>

52. 将軍交代と酒井雅楽頭忠清 I

乾 佐知子

以前にも触れたが芭蕉が水道改修工事に関わっていたその頃、幕府の中央では大きな動きがあった。延宝8年(1680)5月におきた将軍交代の顛末は、その代り方が尋常でなかったことから、今も研究者の間で多くの著書が見受けられる。然しこの史実が芭蕉の深川隠居のキッカケとなっている、と論評された方がおられた。
前回で紹介した光田和伸氏著『芭蕉めざめる』はこの史実を簡潔にまとめており、解りやすいので文中より一部を抜粋しつつ紹介してゆきたい。
四代将軍家綱は11歳で将軍職に就き、在位は30年近くに及んだが、病弱の為40歳で死去する。その時まで家綱自身はほとんど政務に携わることはなく全て老中達に任せていた。そのため老中等の権力は強く、特に当時の大老酒井雅楽頭忠清は「下馬将軍」と噂され、並ぶ者のない権勢を誇っていた。忠清は19歳で家光に仕えて以来、38年間に亘り政権に携わっていた。万治元年(1658)に発し6年間に及んだ仙台の伊達騒動にもこの人物は関わっており、諸大名達に恐れられていた。

(つづきは本誌をご覧ください。)