「旅と俳句」 台湾紀行(二)
石川英子
一、 臺灣紀行序
二、 三月十二日(木)出発
三、 三月十三日(金)国立故宮博物院見学
四、 三月十四日(土)台北市中心街観光
五、 三月十五日(日)特急列車で台南へ
六、 三月十六日(月)安平古堡見学・高雄
以下次号
七、 三月十七日(火)台北へ帰る
八、 三月十八日(水)帰国
九、 李登輝氏の「いま日本に望むこと」他
十、 あとがき
五、三月十五日(日)特急列車で台南へ
7時起床。登山用携行食とカップラーメンの朝食に紅茶の後、チェックアウト。タクシーで台北駅へ行き、券売機で台南行特急券購入。一一五次特急自強号列車、2人分で3千円。2号月台(2番線ホーム)より時刻通り発車。
10分程で地下を走り抜け、郊外の田園地帯へ。亜熱帯の台北郊外では水田に田植が済んだばかり、芭蕉や黍畑の遠く近く風に噴かれている中を列車が走る。臺鐵辨當(タイテツベントウ)売りの女性が、子供の玩具や飲み物と共に満載の弁当を数種類売りに来た。トンカツ弁当と鮨弁当を買う。油揚と大きな椎茸の丸煮、昆布巻に厚焼玉子と野菜の旨煮が、干瓢入り鮨飯の上にたっぷりのって八角形の器に入っていた。
北回帰線である台中の嘉義郊外は既に青田となって稲の丈が畦道を越えていた。台南は熱帯性気候であるから二毛作なのか、稲はすっかり育ち、日本の七月位の様子だった。沿道の椰子の木は若い実をぎっしりと生らせていた。13時15分、定刻に台南駅到着。車で富信大飯店へ。15時迄チェックイン出来ない為、鞄を預けホテル近辺の観光に出かけた。―後略―
六、三月十六日(月)安平古堡見学・高雄
七時起床。日本の朝ドラ『マッサン』を見て、朝食バイキング。熱帯地方だが魚類が豊富、西洋人多し。パン、サラダ、焼肉、茸の野菜炒めと生鮨。熟したパイナップルと西瓜を満喫、コーヒー。
九時、安平古堡へ出発。
安平古堡
一六二四年にオランダ軍によってゼーランダ城として築かれた城塞。赤煉瓦は、インドネシアに於いて一週間かけて焼かれた堅い物を船で運んだものである。展望台には当時使用していた地図、臺灣島オランダ人港(一六二五年)、ゼーランダ城長官宅の鳥瞰図(一六三五年)臺灣島沿海及ゼーランダ城堡與市鎮鳥瞰図(一六四四年)の三枚の地図があった。
歴史資料を集めた博物館には、オランダ人長官フレデリック・コイエットと鄭成功の胸像が置かれていたが、机上に展示された鳥鬼と題する説明書があった。当時のオランダ人男性の服装画には大西洋国黒鬼奴(男性)、大西洋国黒鬼奴婦(優雅なドレス姿でランタンを持つ婦人)と題する絵である。前庭には、安平古堡の碑と民族英雄鄭成功と題した像がある。日本統治時代に壊されてしまった土塁の発掘をはじめており、臺灣城残蹟として公開されていた。井戸の廻りの広大な土台が発掘途中であったので、煉瓦の欠片や石塊が散乱していた。そこを訪ねた記念に丸い小石を一つ拾った。新彊や雲南省徳欽、ネパールやチベット、インド等で川や海や山中の版碑のかけら等をひと欠片ずつ拾ったが、咎められてない。公園内には、巨岩を噛んだまま成長したガジュマルの古樹が数本からみあい、肉厚の印度桜の花が盛りを過ぎて地面を染めていた。つつじの花が真紅に燃え立ち、樟の大樹が緑陰を作り熱帯の日除けと雨除けになっている。
雨多き臺灣城跡つつじ燃ゆ 英 子