東京ふうが60号(令和2年冬季・新年号)

コラム はいかい漫遊漫歩 『春耕』より

松谷富彦

110 虚子が可とした俳句、否とした俳句

先月号に続いて『虚子は戦後俳句をどう読んだか』(筑紫磐井編著 深夜叢書社刊)の内容を紹介する。
先に〈 虚子は俳句の評価を花鳥諷詠や客観写生で行っていない。俳句らしい思想と措辞をもっているかで決定する。〉という編者、筑紫の指摘を引いたが、筑紫はこの基準で虚子が推奨した戦後俳句二十句を拾い、同書で例示している。

妻病めり秋風門を開く音  秋櫻子
きちきちといはねばとべぬあはれなり  風生
夕涼しちらりと妻のまるはだか  草城
飴なめて流離悴むこともなし  楸邨
葛咲くや嬬恋村の字いくつ  波郷
鶏走る早さや汗の老婆行く  草田男
獄の門出て北風に背を押さる  不死男
鉢巻が日本の帽子麦熟れたり  三鬼
徐々に徐々に月下の俘虜として進む  静塔
子にみやげなき秋の夜の肩ぐるま  登四郎
夕日沖へ海女の乳房に虻唸り  欣一
子も手うつ冬夜北ぐにの魚とる歌  太穂
人を責めて来し冬帽を卓におく  さかえ
友ら護岸の岩汲む午前スターリン死す  鬼房
雪の水車ごつとんことりもう止むか  林火
秋嶽ののびきはまりてとどまれり  龍太
夜々おそく戻りて今宵雛あらぬ  民郎
冬日向跛あゆめり羽搏つごと  康治
朝雉子や吾は芥をすてゝゐし  綾子
風邪ごゑを常臥すよりも憐れまる  節子

「俳句らしい思想」と「措辞」は虚子が作品を評価するに当っての 基準だが、〈 ここでは季題があるかないかは基準となっていない。〉と筑紫は指摘する。なぜか。続けて筑紫の文を引く。

〈 (虚子にとって季題は)俳句の基準ではなく、虚子における俳句の絶対前提だからである。従って季題のない俳句(?)は「俳句」ではなく「十七字詩」と呼ぶべきであるという主張も一貫している。(中略)にもかかわらず、不思議なことに「十七字詩」には「俳句」と同様の評価基準が適用されると(虚子は)考えている。「(〈十七字詩〉も「俳句」も)面白味は同じ文字が齎らすのだから同じでなければならぬ」(第五十回研究座談会)と述べている。〉
この四回前の第四十六回研究座談会(篠原鳳作の句。石橋辰之助の句/無季論)でも虚子の評価基準はぶれていない。

しんしんと肺碧きまで海のたび  鳳作

虚子 面白いと思ひます。俳句ではないですね。十七字詩ですね。若しくは十七音詩といってもいゝ。
虚子 [十七字詩というものが俳句に対するものとして独立の価値が出て行くか(研究会・深見けん二)]出来て行くと思いますね。詰まらないが、

祇王寺の留守の扉や推せば開く  虚子

は俳句ではないが十七字詩である、と考える。これは季を入れる余地がなかったのだ。]
虚子 例句の伴はない新季語は未だ季語として認めるわけにはいかぬ。いゝ句の出来てゐる新季語はどしどし採用すべきである。歳時記は常に多少とも異変しつゝある。(敬称略 次話に続く)


(つづきは本誌をご覧ください。)