「松浦敬親」タグアーカイブ

鑑賞「現代の俳句」(26)

木の橋の裏のからくり河鹿笛 岸原清行 [青嶺]

「俳句研究」2010年夏号

河鹿笛は河鹿の鳴き声を誘うために吹く笛。ヒョロヒョロと哀切な調べがする。掲句は、まだ明るいうちに河鹿笛を吹くために河原に下りたのであろう。橋の下に来てみると木橋の裏側がよく見える。橋の上を通るだけでは見えることのなかった木橋の裏側の構造を見ることになった。そして木組ゆえの構造の複雑さを橋の匠の作り上げた「からくり」のようであると感心して見上げたのである。東照宮の神橋、錦帯橋、大月の猿橋など橋の裏にからくりが見られるが、河鹿笛にふさわしい橋とはどんなところであったのだろう。観察眼の確かな句であると思った。
河鹿の鳴き声を河鹿笛とする誤用がある。注意したい。

 

買つて来し田亀が飛んでしまひけり 松浦敬親 [麻]

「俳句研究」2010年夏号

単純なことを言っているのだけれど笑わされてしまう句である。亀が空を飛ぶはずはないのだがそう思わせるような錯覚を先ず読者に起こさせる。亀と田亀は全然別物であるのだけれど。水中に住んで蛙や小魚を捕食してしまう昆虫の田亀の生態からまさか空を飛ぶはずが無いと思っていたら、飛び去ってしまったと嘆いているのである。それもわざわざ買ってきた田亀が。水中で暮らし、陸上でも生きてゆけ、空中も自在に飛べるなんて田亀はスーパー昆虫であったことに作者も読者も気が付いた滑稽さは十分共有できる。

 

西湖に来ていきなり蓮の花に会ふ 松崎鉄之助 [濱]

句集『東籬の菊』から

中国は杭州の西湖での句。杭州は「越」の国にある。呉王夫差、越王勾践の「臥薪嘗胆」の舞台であり、そこに西施が歴史に華を添えている。西湖は風光明媚であるが、壮大な中国にしては小じんまりとした景色である。西施と西湖は直接関係が無いが、越の生まれの西施を偲んで、西湖の干拓などを手がけた地方長官蘇東坡の詩に因って二つは固く結びついてしまう。

[飮湖上初晴後雨]   [湖上に飲めば晴のち雨] 
蘇軾(蘇東坡)   (著者意訳)
水光瀲灔晴方好   さざ波びかりの水面もいいが
山色空濛雨亦奇   雨に煙れる山もいい
欲把西湖比西子   西湖と西施を較べてみれば
淡粧濃抹總相宜   化粧も素顔もみんな好き

好きになれば痘痕も笑窪というところ。
 西施にまつわる伝説に、川沿いの薪屋の看板娘で、副業でもある布晒を川岸でしていると、水中の魚が西施の美しさに驚いて溺れ沈んでしまい「沈魚美女」の名が付けられたとか、「採蓮人」とも言われ、西施を花に喩えると蓮の花になる。

 さて作者は米寿の頃中国を旅し、西湖に行ったらいきなり蓮の花(西施)に会ったと喜んでいるのである。西施に会うことが出来た老いらくの恋によって艶々とした作者の顔は益々照り輝いたことであろうと想像できる楽しい一句になった。

 

由良の門へいそぐ川波夏よもぎ 西嶋あさ子 [瀝]

「瀝」2010年夏号

上五から次の歌を思い出す。

由良のとをわたる舟人かぢをたえ
行方もしらぬ恋の道かな 曾禰(そね)好忠(よしただ) 

由良の門を、紀伊国の由良海峡とする説と、丹後国の由良川の河口とする説があるが、いずれにしても「行方も知らぬ恋路」に胸を焦がす人がいる。
掲句はそれを下敷きにしているのだが、恋に焦がれた若者の船がいそぐ川波に乗って由良の門に着いたのは良いが、さて上陸という段になって夏蓬が邪魔をしているのである。
「いそぐ川波」は青春時代の作者の化身であろうか。