東京ふうが35号(平成25年 秋季号)

寄り道 高野素十論

寄り道 高野素十論

その6

蟇目 良雨

大正15年から昭和7年までの間に、素十がホトトギスに投句して虚子選に入った俳句の数を定量的に調べてみよう。素十の俳句に向かう態度と生活態度が同時に見えてくるだろう。
素十が大正12年秋からホトトギスの俳句に目覚め、俳句に夢中になり、ホトトギス発行所に入り浸り、若く天性の詩人星野立子に出会い二人の間に子をなしたと言われる時代の素十の行動について触れた人は少ないのであるが、現実に一つの結社に属して、その人の作品を見ることにより、俳句への打ちこみ方や生き様を垣間見ることが出来るはずだ。
以下に月別のホトトギス採用句数を示した。また、俳句作品を添付することにより俳句への集中度が分るというものである。
少なくとも投句がゼロということは、重大な理由があるはずである。
また素十の秀句といわれるものを抽出しておいたが、秀句といわれるものは作者の心穏やかな時期に出来るということは実作者なら誰もが納得してくれるであろう。

(つづきは本誌をご覧ください。)