季刊俳誌東京ふうが通巻22号

東京ふうが 22号(平成22年 夏季号)

『水郷の風土』余聞 10

印旛沼の龍神【中】

高木 良多
千葉県北部と東部に併せて3つの龍神を祀る仏閣があり、また千葉県北部にある岩屋古墳が誰のものであるかいまも分からないでいるということについて千葉県の歴史作家関 裕二氏は龍神も古墳も蘇我氏ゆかりのものではないかと述べてきていることについては『水郷の風土』(その9)にも述べてきたが重複しないところで更に詳説を進めてみたいと思う。
岩屋古墳が蘇我氏ゆかりの遺跡であると推定している理由としては

1. 千葉県千葉市中央区の南町にあるJR外房線・京葉線の両駅に「蘇我」という駅名がのこされている。
2. 乙巳の変(いつしのへん)において殺害された蘇我鞍作入鹿の屍体が豊浦大臣蘇我毛人のもとにとどけられたとき、豊浦大臣の邸宅を警固したのは高向臣国押、東漢直(やまとのあやのあたい)ら眷属のすべてで軍陣を張った。この中で東漢直は司令長官級の武人であったが下級武士は東国出身の武者であったようである。
3. 乙巳の変の顛末については日本書紀に詳しいが、その編集者の藤原不比等は藤原鎌足の子であったため、日本書紀の編集上鎌足のことなどを良く書きのこし、一方、蘇我鞍作入鹿のことなどは史書から抹殺しまっている。
4. 龍神伝説も岩屋古墳も考古学上いまだ解明の手が加えられていないところである。

ということでこのあたりのことは一切不明のままであると述べている。
(つづきは本誌をご覧ください。)