東京ふうが51号(平成29年秋季号)

紀行エッセー 高麗神社と釣瓶落し

石川英子

9月の彼岸の1日、思い立って日高市内にある巾着田の彼岸花を見に行きました。巾着田は、高速道路を降りて10分位と思ったのに2時間余りの渋滞にはばまれ、現地は人・ひと・ヒトの波、そして満開の曼珠沙華が赤松の木陰に今年一番の命を燃やしていた。

出店も屋台も、すべて満員長蛇の列。仕方なく高麗裔人の住む集落上の裏山に広がる高麗峠まで登り、蜩や秋の虫の集く中、大小の小鳥のさえずりを浴びた。帰路は何の心得もなしに高麗神社に参拝したが、折から獅子祭との事で参道は溢れんばかりの参拝者十列縦隊の長い列にはばまれ、隣りの社務所の方から参拝。日が西にかたむき、境内の高句麗展示館を見学。立派な舞台での高句麗の古歌や最後のアリランの唄を聞いて退出。子供の頃、近所の朝鮮人の子らと唄ったなつかしい思い出の歌だ。

息子に「帰化人の事をきちんと勉強して出直した方が良い」と言われて、11月9日菊祭の最中に再度高麗郷を訪れ(自宅を朝6時に出発)、神社と若光王とその裔代々の住居のある屋敷、そして御廟を祀った一山の聖天院、高麗人の慰霊塔と墓地などゆっくり見学した。落葉を掃く人々の他はほとんど誰にも会わず。清々しい秋晴れの一日であったが、社務所に伺って天皇・皇后両陛下の行幸遊ばされた事を知った。何も知らずにふいと出掛けて、恐れ多くも大変な人波に揉まれてしまったという次第でありました。


(つづきは本誌をご覧ください。)