東京ふうが59号(令和元年秋季号)

韓国俳句話あれこれ 4

本郷民男

▲蕪村筆「春雨や」の短冊

前回に続いて、建国大学校の李炫瑛 教授が木浦で入手した俳諧資料の紹介です。一番目は、蕪村の短冊を貼り付けて掛け軸にしたものです。

春雨や日暮れんとしてけふもあり 蕪村

なお、李炫瑛教授は「今日もあり」と翻刻しましたが、論文の写真から判読すると「けふもあり」です。
この句を『蕪村全集1発句』の481頁は、次のように載せています。

⓵春雨や暮なんとしてけふも有
②春の雨日暮れむとしてけふもあり
③春雨や日くれんとしてけふも有

⓵は蕪村自筆句帳にある句形です。蕪村が出版を予定して、手持ちの資料を基に自筆で書きました。ところが出版されず、蕪村の死後間もない頃に、切り売りされました。散逸したのを集めて復元したのが、自筆句帳です。

天明2年(1782)1月22日に、蕪村が正名と春作に宛てて書いた手紙が残っていて、そこに書かれた二句にも⓵の形で載っています。そこで、現在は⓵の形を標準としています。

▲蕪村が正月用に用意

②は、几菫の『初懐紙』にあります。宗匠や大名俳人は、「歳旦帖」を初句会の時に配りました。前年の内に用意した簡単なものです。しかし、几菫は関係者を自庵に招いて初句会を開き、その時に詠まれた連句や発句を毎年、「初懐紙」として出版しました。この句は、天明2年の「初懐紙」にあります。几菫は蕪村が死去すると、直ちに『蕪村句集』を刊行しました。それには、

④はるさめや暮なんとしてけふも有

と、⓵を平仮名にした形で載せました。

③の形は、杜口が天明二年の「春興」に収録しました。「春興」も「初懐紙」のように、新年の句会で詠まれた句を収録したものです。つまり、「春雨や」の句は蕪村が正月用に用意して句会や手紙に使い回し、句の形を変えることもあったということです。


(つづきは本誌をご覧ください。)