東京ふうが 24号(平成23年 冬季・新年号)

曾良を尋ねて 7

松尾芭蕉と藤堂高通

乾 佐知子

曾良の生涯を語るには松尾芭蕉とのかかわりを抜いて進めることは出来ない。曾良が長島藩主松平良尚に庇護されて才能を開花させたと同様、芭蕉も文教に深い造詣を持つ久居藩主(津藩の支藩)の藤堂高通に縁を持ったことが俳諧への目覚めであった。この後芭蕉と曾良が運命的な出会いをし、俳諧を通していかに関わっていったかを、芭蕉の半生を辿りつつ私なりに検証を進めてゆきたい。

松尾芭蕉は寛永21年(1644)伊賀国上野の赤坂町に生まれ、29歳まで藤堂藩(津藩ともいう)の藤堂新七郎家の武家奉公人として仕えた。
藤堂藩の領地は伊勢国、伊賀国、志摩国の三ヶ国に及んでおり、伊勢の津に本城が伊賀の上野に支城がおかれていた。
藤堂藩の初代高虎は多くの大名に仕えたことで有名で、浅井長政、羽柴秀吉そして徳川家康と主君を変え、33万石の外様大名であった。その高虎の孫の藤堂高通は正保元年(寛永21年を改元)伊勢の国に生まれる。
偶然芭蕉と同じ年であった。部屋住みの知行として父より1万石を受け、兄の高久より伊勢国の5万石を分領されて城主格に列される。
文芸に秀でた才能を持ち、自ら和歌集を編纂したり俳諧師の北村季吟や西山宗因を招き、家臣にも文教を奨めた。

(つづきは本誌をご覧ください。)