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東京ふうが48号(平成28年冬季・新年号)

高木良多先生追悼号

本号「東京ふうが」を俳人・高木良多に捧ぐ
———–平成29年2月12日永眠 享年93歳

編集人が語る「東京ふうが」48号

「東京ふうが」編集人より

 

東京ふうが48号/平成29年冬季新年号表紙絵「良多先生追悼号」縁とは不思議なもので、高木良多先生に出会わなければ、私の俳句人生は無かっただろう。もう35年のお付き合いであった。残念ながら高木良多先生は93歳をもって黄泉の国へ移られた。俳恩に報いるために「東京ふうが48号」を高木良多先生追悼号にした。本誌はまだ在庫を持っているので必要な方は連絡して欲しい。
蟇目良雨

 

目 次


 

追悼特集高木良多先生を偲ぶ 五句選

2 良多先生を送る言葉ちょっと立読み 蟇目良雨
4 良多先生の作品(5句選より) 良雨抄出句
6 追悼の言葉と五句選 お茶の水句会会員
18 良多書簡 -『万象』主宰 内海良太氏よりご提供- 蟇目良雨
20 最期の「ふうが・ずいひつ」
大相撲の行司と俳人 ちょっと立読み
高木良多

21 名句逍遙
欣一俳句の鑑賞<27> 高木良多
良多俳句の鑑賞<27> 蟇目良雨

22 作品7句と自句自解ちょっと立読み

28 墨痕三滴(俳句選評) 蟇目良雨

30 寄り道 高野素十論 19ちょっと立読み 蟇目良雨

35 曾良を尋ねて 第31回 乾佐知子
89 -原田甲斐刃傷事件までの一考察 –ちょっと立読み
90 -伊達騒動と酒井雅楽兵部宗勝と酒井雅楽頭忠清 –
91 -仙台藩における芭蕉と曾良の関わり –

38 八千草日記 高木良多
<25> 茶の花ちょっと立読み
<26> 金 柑

39 折口信夫の歌碑、句碑、墓碑など 石川英子

40 旅と俳句 台湾紀行II
原住民族の高地と町を訪ねて(4)
石川英子
7.台東市から台北市・新北市へ ちょっと立読み
8.孫中山記念館見学・帰国

43 第9回 遊ホーッ 洒落斎
(1)流転の歌詞
(2)ひげ
(3)からだ
(4)美

44 今夜はお鍋に 辻美奈子「沖」

46 会友招待席・会友句添削と鑑賞 -句を磨く- 高木良多

 46 短信・あとがき・句会案内

表3 東京ふうが歳時記 <27> 編集部選

(つづきは本誌をご覧ください。)

東京ふうが44号(平成28年冬季新年号)

編集人が語る「東京ふうが」44号

「東京ふうが」編集人より

季刊俳誌東京ふうが 平成28年冬季新年号通巻44号

 田島和生著『振興俳人の群像「京大俳句」の光と影』を読む機会があり感じたのであるが、かの大戦中に、俳句のような手すさびの文芸に携わっていた人達を何故あのように過酷なまでに苛めたかは、官憲が俳句の持つ影響力に恐れをなしていたからだと思う。そういう意味で戦後出た桑原武夫の「第二芸術論」は的外れな論であった。俳句は十分に人の心を揺さぶるいわゆる芸術の力を持っていたからである。
桑原の執筆のきっかけは雑誌『世界』の編集者から埋め草のような文章を書いてと頼まれ「一晩で」書いたのがあの「第二芸術論」である。読者というものは誌面から情報を受け取るだけで、その裏に起きている恐ろしい事態(例えば「京大俳句事件」)など知る由もないのである。桑原もその意味では俳句も短歌も知らない「三尺の子」であり、だから純真に俳句を批判できたのだと思う。そして言論を統制していたGHQのお眼鏡に叶っていたということも忘れてはいけない。背景を知ることの大切さをこの書から学んだ。
蟇目良雨

目 次


1 名句逍遙
欣一俳句の鑑賞<23> 高木良多
良多俳句の鑑賞<23> 蟇目良雨

2 作品7句と自句自解ちょっと立読み

7 八千草日記 高木良多
<17> 吉祥草ちょっと立読み
<18> シクラメン

8 墨痕三滴(俳句選評) 蟇目良雨

11 寄り道 高野素十論 15ちょっと立読み 蟇目良雨

23 美しき山神地祇を詠む
宮川杵名男の句集『律儀』の背景ちょっと立読み
高木良多

26 曾良を尋ねて 第27回 乾佐知子
78 -殺生石、白河の関、須賀川へ –ちょっと立読み
79 -福島から仙台へ –

28 第5回 遊ホーッ 洒落斎
紫禁城 ちょっと立読み

29 旅と俳句 台湾紀行(三) 石川英子
7. 3月17日(火)台北へ帰る ちょっと立読み
8. 3月18日(水)帰国
9. 李登輝氏の「いま日本に望むこと」他
10. あとがき

32 インフォメーション●他誌掲載作品・書評など

36 会友招待席・会友句添削と鑑賞 -句を磨く- 高木良多

 37 あとがき

38 句会案内

表3 東京ふうが歳時記 <23> 編集部選


東京ふうが40号(平成27年冬季・新年号)

編集人が語る「東京ふうが」40号

「東京ふうが」編集人より

40_cover戦後間もなく発表された桑原武夫の「第二芸術論」を「俳句界」3月号、4月号で改めて読んだ。
当時敏感に反応した秋櫻子や草田男。一方、「俳句も芸術と呼ばれるようになったのですか」と悠然と構えた虚子の2つの流れがあったが、70年前と事態は改善されたわけでもないことに気付かされた。
芸術と呼ばれたいのなら、人を感動させる句を作らなければならない。
桑原武夫を俳句の門外漢などと退けることなく謙虚に、再び考えることをしたい。

蟇目良雨

 

目 次

名句逍遥
欣一俳句の鑑賞(19) 高木良多
良多俳句の鑑賞(19) 蟇目良雨

作品七句と自句自解「冬季・新年詠」ちょっと立読み

墨痕三滴(俳句選評) 鑑賞:蟇目良雨
(お茶の水句会報355回~358回より選んだもの)

寄り道 高野素十論 < 11 >ちょっと立読み 蟇目良雨

19 【特集】 菽水と蕪村ちょっと立読み 高木良多

12 曾良を尋ねて < 23> 乾 佐知子
「草の戸も」の句の真意 ほかちょっと立読み

14 旅と俳句 新涼のハルビン・大連紀行<2>ちょっと立読み 石川英子

17 八千草日記 高木良多
(9) 山法師(やまぼうし)ちょっと立読み
(10) 藤の実

18 【新連載】 「遊ホーッ」 洒落斎
零の発明と五十音図の発明の起源ちょっと立読み

19 エッセイ 息栖神社と側高神社 参拝の記ちょっと立読み 石川英子

22 秀句探索・読者からのお便り・ほか

24 ふうが添削コーナー会友招待席ちょっと立読み 高木良多

25 後 書 蟇目良雨

表3 東京ふうが歳時記 < 19 >【 冬季・新年 】 編集部選

東京ふうが36号(平成26年 冬季・新年号)

編集人が語る「東京ふうが」36号

「東京ふうが」編集人より

36_cover 子規が35歳で逝き、芭蕉が50歳で逝き、一茶は65歳で逝き、蕪村が68歳で逝きと没年を書き連ねてみたのは、一家をなした先人のことをしきりに思うからである。
蕪村をも超えて馬齢を重ねている己を叱咤して「東京ふうが」に力を注入しつづけたい。

蟇目良雨

目 次

1 名句逍遥
欣一俳句の鑑賞(15)     高木良多良多俳句の鑑賞(15)     蟇目良雨
2 作品七句と自句自解「冬季・新年詠」 ►ちょっと立読み
6 墨痕三滴(俳句選評) 添削:高木良多
(お茶の水句会報344~346号より選んだもの) ►ちょっと立読み
7 八千草日記 < 1 >     高木良多 ►ちょっと立読み
8 寄り道 高野素十論 < 7 >     蟇目良雨 ►ちょっと立読み
10 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <28>    鈴木大林子
「我が少年時代の犯罪」 ►ちょっと立読み
11 曾良を尋ねて < 19>     乾 佐知子
芭蕉はなぜ深川に移ったのか ►ちょっと立読み芭蕉の家族・寿貞と三人の子供
13 「旅と俳句」梅里雪山の旅< 2 >     石川英子
飛来寺へ移動 ►ちょっと立読み明永氷河へ登山香格里拉経由昆明昆明市内観光
21 「澤木欽一の行脚風景」発行の顛末     高木良多 ►ちょっと立読み
22 会友招待席(会友句鑑賞)
「鑑賞と添削」     高木良多 ►ちょっと立読み
24 後書     高木良多
24 句会案内
表3 東京ふうが歳時記 < 15 >【 冬季・新年 】    編集部選

東京ふうが32号(平成25年 冬季・新年号)

編集人が語る「東京ふうが」32号

「東京ふうが」編集人より

32_cover「5千粒、1万粒の涙」

3月9日の朝日新聞記事に、東日本大震災のシリーズものが掲載されていました。
その中に、津波で父も祖父母も亡くした大槌町の小学五年生の少年が、地元に伝わる郷土芸能の七福神踊に没頭して悲しみを紛らわせている様子が報じられています。
「踊っていると、じいじとばあばが見に来て、笑っているような感じがした。ちょっとうれしかったです。」
と今の心境を語り、悲しみは少しずつ癒されているという中に、この少年が語る次の言葉に感激しました。
「津波の時、夜になっておかんが無事だとわかるまで、心配で、避難所で、五千粒、一万粒の涙を流しました。親が二人ともいなくなったんだから、自分より、おかんの方がつらいと思う。津波注意報が来て、おかんと離れていると、心配で仕方がありません。」
この少年が語る「5千粒、1万粒の涙」という胸を打つ飾らない即物具象の言葉こそ俳人の探すべき言葉だと思ったものです。

蟇目良雨

目 次

1 名句逍遥
欣一俳句の鑑賞(11)     高木良多良多俳句の鑑賞(11)     蟇目良雨
2 作品七句と自句自解「冬季・新年詠」 ►ちょっと立読み
5 墨痕三滴(俳句選評) 添削:高木良多
(お茶の水句会報332~334号より選んだもの) ►ちょっと立読み
6  澤木欣一の句集      高木良多
『白鳥』の風土 ►ちょっと立読み
『交響』の現場
19 【寄り道 高野素十論】< 3 >     蟇目良雨 ►ちょっと立読み
26 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <24>    鈴木大林子
東京駅物語(2)「天皇の椅子」 ►ちょっと立読み
28 曾良を尋ねて < 15 >     乾 佐知子
江戸初期の幕藩体制と改易について ►ちょっと立読み
路通から曾良へ
齋部路通について
旅立ち直前における動向について
32 「旅と俳句」2012 インド漫遊の旅< 2 >     石川英子
ダージリン観光 ►ちょっと立読み
カルカッタは暑かった
カルカッタの街ぶらぶら
ラピスラズリの首飾り
38 会友招待席(会友句鑑賞)
「鑑賞と添削」     高木良多 ►ちょっと立読み
39 後書     高木良多
40 句会案内
表3 東京ふうが歳時記 < 11 >【 冬季 】    編集部選

東京ふうが 28号(平成24年 冬季・新年号)

編集人が語る「東京ふうが」28号

「東京ふうが」編集人より

28_cover

 俳句を始めて何やかや三十年を経て、俳句が判りかけてきたと思いきやどんどん遠くへ逃げてゆく現実に打ちのめされている毎日です。それが俳句の魅力なのでしょうか?「東京ふうが」も少しづつ俳句の楽しさに近づけるよう誌面作りになってきたと自負しています。機会がありましたら手にとってご覧になって下さい。

蟇目 良雨

目 次

1 名句逍遥
欣一俳句の鑑賞(7)     高木良多良多俳句の鑑賞(7)     蟇目良雨
2 作品七句と自句自解「冬季詠」  ►ちょっと立読み
6 墨痕三滴(俳句選評)     添削:高木良多
(お茶の水句会報319~321号より選んだもの)  ►ちょっと立読み
7  澤木欣一の句集      高木良多
定本『塩田』句集鑑賞  ►ちょっと立読み
『地聲』散策
18 ニーハオ中国俳句の旅 <14>(番外編)     蟇目良雨
越南ぶらりぶらり  ►ちょっと立読み
25 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <20>    鈴木大林子
大学は出たけれど  ►ちょっと立読み
27 曾良を尋ねて < 11 >     乾 佐知子
芭蕉と仏頂禅師  ►ちょっと立読み
曾良と三井家親子
野ざらし紀行と曾良入門
歌仙「蛙合せ」
30 ミニエッセー「旅と俳句」
ネパール・ヒマラヤ紀行2011     石川英子
〜仏陀の生誕地・ルンビニ〜
4.ルンビニへ移動の日  ►ちょっと立読み
34 私と小倉と久女のこと     深川知子
36 会友招待席(会友句鑑賞)
「鑑賞と添削」     高木良多
36 後記     高木良多
37 句会案内
表3 東京ふうが歳時記 < 7 >【 冬季 】    編集部選

東京ふうが 24号(平成23年 冬季・新年号)

編集人が語る「東京ふうが」24号

「東京ふうが」編集人より

24_cover

「東京ふうが」も季刊ながら24号を迎えた。毎号、俳句作品や文章を皆さんの協力で埋めてきたが、その内容は号を重ねる度に深くなっていると自負している。
是非多くの方に読んでいただきたいものである。
高木良多先生の澤木欣一を沖縄吟遊集を手がかりに論ずるのは面白い試みであり雑誌を発行するものの喜びを感じる時である。

目 次

1 名句逍遥
欣一俳句の鑑賞(3)     高木良多
良多俳句の鑑賞(3)     蟇目良雨
2 作品七句と自句自解「新年・冬季詠」  ►ちょっと立読み
6 墨痕三滴(俳句選評)     添削:高木良多
(お茶の水句会報307~310号より選んだもの)  ►ちょっと立読み
7 澤木欣一の沖縄諷詠 <2>    高木良多
「コザ」「那覇より名護へ その他」「綱引」「墓」
  ►ちょっと立読み
10 ニーハオ中国俳句の旅 <10>     蟇目良雨
「桂林の旅」墨絵の世界と中国の鵜飼  ►ちょっと立読み
桂林  伏波山・畳彩山・芦笛洞・七星公園・麒麟巖・竹江港・漓江下り
陽朔  福利の鵜飼漁・銀子岩・大榕樹・小青山古寨・世外桃源
19 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <16>     鈴木大林子
いつか見返してやる  ►ちょっと立読み
21 曾良を尋ねて <7>     乾 佐知子
芭蕉・藤道高通との出会い  ►ちょっと立読み
松尾芭蕉と藤堂高道/芭蕉と曾良の出会い/江戸での芭蕉と俳諧情勢
23 ミニエッセー「旅と俳句」
チベットの風になって <4>(連載4回・最終回)  石川英子
[ 10 ] シガツェ タシルンポ寺 [ 11 ] シガツェからラサへ [ 12 ] ヒマラヤの雪嶺を越えて
  ►ちょっと立読み
28 会友招待席(会友句鑑賞)
「鑑賞と添削」     高木良多
26 句会案内
26 後記     高木良多
表3 東京ふうが歳時記 <3>【 冬季・新年 】    荻原芳堂選